超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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物語を語りきる力


純文学でも、ライトノベルでも、SSであろうが、ジャンルは別に何でもいいのだが、物語を作ってみたいという人は一定数いると思う。少なくとも自分はそうだ。
しかし、自分の物語を書いてみようとして書き出して途中で投げ出してしまう人は多いだろう。自分の中に温めてきた物語、イメージ、モチーフ。表す言葉はいろいろとあるが、自分の中にある外に出たくて仕方ないストーリーを抱えている人は社会の中に一定数いると思う。


物語のモチーフを発見する事と物語を語りきる力というのは全くの別物である。そこの所を知らないと自分の中にストーリーを抱え込んだまま、自分だけにしか分からないキャラクターやストーリーを抱え込むことになる。これは精神衛生に悪いというほどではないが、永遠に自分だけしか理解されないストーリーと言うのは、自分が持っているキャラクターに対しても悲しすぎるような気がする。


やはり、物語は自分の中に抱え込んだだけではなく、他の人にも理解できる形に表現したい。そうでなくては己の内面に抱えた物語は永遠に閉じて、誰にも理解されない。*1自分の持つストーリーを誰かに理解してもらいたい。これは、他人からの承認欲求にもつながるような気もするが、それはともかく己の物語を万人にも理解できる形で表現する、これは非常に強い欲求である。


物語を通じて他人と通じるというのはそれほど難しいことなのだろうか。創作技法というのは、書店のその棚を眺めてもらえば分かると思うが、文章読本は無数にある。その中で、自分の持つ物語を表現するための技術を習得できる書籍はどれなのだろう?
文章読本はそれぞれ、文章を通じて自分の持つ主観を伝える方法を教えてくれる。だが、結局の所どれも具体的な方法を教えてくれる本は無い。


大塚英司は方法論としての小説の書き方を提示することで、文学という聖域を破壊しようとした。そこで提示された方法論は、物語を素人でも語ることができるようにする方法論であり、練習法であった。実際の所、大塚さんが提示する方法は練習方としては正しくても、苦行を超えた者だけが物語を語りうるとする点で、文学に座している方々が自らを物語の語り手として正当であるとする事と差があるのか、僕はよく分からない。


技術としての創作技術は確かに存在する。実際に小説をいくつか書いていくことで技術は向上していく。これは考えるよりも、実際に書いてみることで経験律として身につくものだろう。


くどくどと感慨を語ってしまった。すぐに物語を書いてみたい人はどうすればいいのかという答えになっていないですね。
単純に物語を書いてみたいと思った場合には、主人公とそれに対抗する者を設定して、その関係を転がす感じがやりやすいかなと思う。


例えば、学園物であるならば主人公とヒロインが結びつくのが結論であるが、それを妨害するもの。例えばライバルや他に思いを寄せる幼馴染など。ヒロインの性格がツンデレというのもこの場合、抵抗として働くだろう。
それらの障害を主人公が乗り越えていって、クライマックスに進むというのがやりやすいやり方だろう。結末は二人が結ばれるハッピーエンドだろうが、結局結ばれないバッドエンドだろうがかまわない。


持っているイメージやモチーフが断片的だというならば、シュチュエイションかキャラクターで転がすやり方が有効だろう。


キャラクターで転がすなら、ヒロインの女の子の変な癖(化学オタクであるとか、演歌が好きであるとか)で考えて、シナリオを構成する。
シュチュエイションで転がすならば、目が覚めると女の子になっていた、転校先が女子校だったとかで、考えてみる。

演繹法で考えてみて、それに付属するイベントを書き出してみるのも良い。それをうまくつなげることで物語として展開できる。


*1:このあたり、他人から自分に対して把握してもらいたい人格像などにもつながりそうな気もするが、それを語り出すと長くなりそうなので、また後日

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