超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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『教養としてのプログラミング講座』感想など。



『教養としてのプログラミング講座』を読んだので感想をば。


プログラム(システム)は生活の中に偏在するというのが、割と自分も考えていることかな。
我々人間は生活の中でプログラムをうまく使って生きている。例えば、朝起きる為に目覚まし時計をセットするのもプログラムを使った行為である。生活をより効率的にするために、決まった手続きをすることはプログラミング行為である。この辺りを言葉にしてもらったことが、僕のシステム屋としてはもやもやしていた事を説明してもらった感覚を覚えた。


プログラムを作るということは、ITを使ったソースコーディングや設計だけではない。僕はシステム屋を生業にして今まで生きてきたので、その辺りを結構考える。
いままで、派遣も含めていろんな現場を見てきたけど、上手いシステムの作り方というのは技術的な部分だけではないよなと思うのである。プログラムを作るというのは、元々そこにあった作業をリスニングで洗い出して、効率化すべき部分をソフトウェアを含めたIT技術で支えるというのが本質的な部分である。
技術的に優れたソフトウェアを作っても、使う人が使いこなせるかどうかを見ていないとプログラムとして稼働しない。ユーザを教育してソフトウェアを使いこなせる様にしないとシステムは動かない。人相手のコミュニケーションもシステムを作るには必要です。


高い技術力で作られたソフトウェアと優れたシステムはイコールじゃないんだよね。COBOLで作られたような古いソフトウェアであっても、作業で熟練したユーザが使えば新しいソフトウェアよりも高い効率性を持つこともある。EXCELのマクロで作られたシステムであっても、その現場では最適解かもしれない。SEの仕事ってこの辺りも考慮する必要があるのです。


システム屋として生きるということは、人の流れ・情報の流れ・生活で起きる事、そういったことを注視して、どこにプログラムがあるのか把握することは割と重要だと思うのです。そのプログラムを発見する感度は新しいシステムのアイディアを生みます。そしてIT技術に限らず、持てる技術を使って効率化するシステムをつくり上げること。システム屋として生きるには、その視点は必要だなと考えた。



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