超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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夏の熱帯夜。


7月に入り暑い夜が続いている。僕はこんな夜が好きだ。沖縄の本質を味わいたいならば夏の夜だろう。ねっとりとした濃密な暑さは、夜の闇の粘っこさをさらに増すように思える。何時迄も蒸し暑い微風が吹き続ける夜は、正に亜熱帯ならではである。こんな日は夜の街に繰り出して、ほろ酔いでネオンの光を浴びながら歓楽街をひやかすと気分がいい。ふわふわと高揚した気分の中で、湿度が高い粘着質な夜は、オレンジ色の街灯に照らされて更に闇を増していく。


沖縄は夏に向かうと光景のコントラストが上がっていく。樹木や草木はその緑色を色濃くし、青空はコバルトブルーの色合いを深くする。雲はきらきらと光り、パーマネントホワイトで海や空の青色を際立たせる。熱せられた地面の上昇気流で成長した入道雲は時折、スコールを降らせる。夏は、自然の力が強くなる。夏になるとその全力を知ることになる。


僕は東京や岡山に住んでいたこともあるのだけれど、コントラストが高い沖縄の自然に慣れた目には、内地の自然は色が淡いと思えた。休みの日に皇居や神社を訪れると木々や草花は整然と司られている。僕はそれをとても美しいと思った。沖縄の自然はコントロールすることはできない。生えるまま萌えるままに放置して、なんとかそれをバランスを取ることぐらいしかできない。本質的には自然の生きるままに任せている。
沖縄と本土の思考の違いはそこにも有るんじゃないかなと思う。内地では自然をコントロールすることで調和を生み出すが、沖縄では自然はそのままに共に生きようとする。沖縄の生き方は雑然としている様に見えるのではないかな? いい加減だし、基本時間は守らない。夜中の居酒屋で子供が走り回っていたりする。宵っ張りだからスーパーなども午前1時まで営業してたりする。
ま、こんな自然の中で生きてるから、生き方も調和がない生き方になっているのです。沖縄の自然に従うと、こんな適当なやり方が普通になるのです。


沖縄と内地ではどこまでもギャップがあるのだろうな。米軍関係の事もあるけれど、本質的に考え方が違うのでしょうな。こういうことを考えていると山之口貘の詩を思い出す。

「会話」 山之口 獏


お国は? と女が言つた
さて 僕の国はどこなんだか とにかく僕は煙草に火をつけるんだが 刺青と蛇皮線などの懸想を染めて 図案のやうな風俗をしてゐるあの僕の国か?
ずっとむかう


ずつとむかうとは? と女が言つた
それはずつとむかう 日本列島の南端の一寸手前なんだが 頭上に豚をのせる女がゐるとか 素足で歩くといふやうな 憂鬱な方角を習慣してゐるあの僕の国か!
南方


南方とは? と女が言つた
南方は南方 濃藍の海に住んでゐるあの常夏の地帯 竜舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物達が 白い季節を被つて寄り添うてゐるんだが あれは日本人ではないとか 日本語は通じるかなどと談し合ひながら 世間の既成概念達が寄留するあの僕の国か!
亜熱帯


アネッタイ! と女は言つた
亜熱帯なんだが 僕の女よ 目の前に見える 亜熱帯が見えないのか! この僕のやうに日本語の通じる日本人が 即ち亜熱帯に生まれた僕らなんだと僕はおもふんだが 酋長だの土人だの唐手だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのやうに、世間の偏見達が眺めてゐるあの僕の国か!
赤道直下のあの近所


亜熱帯だからなんでしょうね。日本語が通じるけど異民族だと僕は考えている。さて、それでも沖縄も均質化してきている。これから先、どうなっていくんでしょうね? ただの観光地として、最貧の田舎として、平凡に均質化していくのかなぁ? 鮮やかなコントラストが同調圧力で消えていくのはただ悲しいと思うだけだ。ただ、まぁ、僕に何かが出来るというわけではないのだが。


ふわふわと暑い微風が吹いている夜にこんな事を考えている。


山之口貘詩文集 (講談社文芸文庫)

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