超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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各々の物語。

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週末の習慣として一週間のご褒美にチューハイ二本を飲むことにしているので、酒に酔ったまま殴り書く。いやーしかし、病を患った後は酒に随分と弱くなったもんだと思う。以前なら、ウイスキー瓶一本を飲んでも正気を保つぐらいに肝臓が強かったが、今は9%のチューハイ500ml缶2本で頭がクラクラ来て、もういいやって感覚になる。薬のせいかね? 本来アルコールは僕らのような患者には薦められないものらしいね。でも飲む。週末ぐらい良いでしょ? 許してね。


僕は、些細な日常を書き綴っているブログが好きだ。その日常を只々、その人の視点で描き出しているブログを好んでいる。
なんで、はてななんかでも、適当に新着エントリーをランダムに選んで過去エントリーも含めて読み漁っている。
その人が日常で感じたこと、得られた喜び、人間関係での諸々、語られる趣味への情熱など、少しでも良識を持つ人ならばくだらない物として打ち捨てられる日常の物語が好きだ。


TVなんかでは語られない、無名の人々の持つ、見過ごされる物語ってやつがたまんなく面白いと思うのだ。テレビなんかでは芸能人や成功者が取り上げられて、サクセスストーリーがこれでもかというぐらい押し付けられる。僕は、そんなものを「しゃらくせえ」と思うのだ。世の中は少しでも効率よく稼げるとか、努力して成功するってストーリーが好まれている。そして、そうあるべきと協調圧力を掛けてくる。


以前の僕も、自己啓発本などを毎日読み漁り成功するとは何か?と考えていたはずだ。だけど、一旦レールを外れた後に見えてくるものもあった。やっぱり、自己啓発本などで語られる「成功するには斯くあるべし」という思想は異常だよ。そんなに成功や金を稼いで、人より上に立ちたいものかね? 果てのない競争の後に観られる景色は、そんなに美しいものだろうか?


成功とはかけ離れた所にある、日常の風景に幸せはあるのではと思うのだ。幸せの青い鳥はそこにいるってやつだ。日常を語るにはtwitterfacebookは騒がしい。いいね!やリツイートなんぞでは承認欲求は果たせても、その人の本質は見えてこない。静かな場所で、内面を見つめて、慎ましやかに語られる場所が必要だ。周囲の目を気にする必要のないブログはその条件を満たしている。


表現をするのに華美な演出や描写なんかは必要ない。日々の積み重ねがその人の物語を描き出しているのだ。思ったこと、感じたことを短文でもいいから、その人が書きだしたものはその人のストーリーになる。僕はそんなストーリーを愛している。なので、今後もそんな物語を探し続けるだろうね。


書き出してみると気恥ずかしいものだが、僕が日常を書き綴り続けたい理由もそんなものだろう。誰かがここに辿り着いて、ささやかな物語を読んではくれないかと思うのだ。


酔った勢いで書ける文章はこんなもん。後で読み返して、枕に顔を押し付ける程度の破壊力を持ってるんだろうな。でも勢いで公開するボタンを押す。これでいいのだ。

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