超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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自分のブログはなぜ楽しいのか?

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別に僕のブログが楽しいだろ?と自画自賛するつもりではないよ。いや、それでも良いんだけど、それで2000字の文字数を稼げて楽しく読ませる文章を書く自信は僕には無い。そこまで自己愛に溢れているなら世の中はもっと輝いているはずだろう。

 

要するに何がいいたいのかというと、自分で書いたブログを自分で読んでみた時に面白く感じる現象は何だろうか?と言う事である。僕もよく、過去に書いたブログを読み直す事があるのだけれど、それなりに面白いし、ある程度の有益な思想も含まれている。自分で書いた文章は自分で読んでみた時に最高に楽しめる娯楽である。

 

このブログを読んでいる読者諸氏は殆どはブロガーであろう。自分のブログを読んでみたことあります? 時間を忘れるほどという訳ではないけど、間違いなく楽しいはずである。一度は、過去に書いた全エントリーを読み返してみることをオススメする。逆に、自分で読んでも楽しくないブログを書いている人はブログを書く理由を考え直す必要がある。

 

僕は小説も書くのだけれど、自分で書いた小説もサイコーに面白い。二次創作なので新人賞に応募も出版もできないけど、プロの作品に劣らないぐらい繊細な感情の動きを表現していて、さらに優秀な構成で素晴らしい作品である。なんで埋もれているのか不思議である。自分で書く(or 描く)作品は自分で読んでみた時にサイコーに面白いのである。なのに誰も評価してくれない。なんで他人のつまんねー作品が絶賛されている? 互助会か? 世の中は腐っている! これは僕に限らず、小説を書くワナビーや素人漫画家は理解できる感情であろう。

 

この現象に対して、ある程度の考察をしてみよう。なんで自分の書いたブログ(or 小説 or 漫画)はこんなに楽しいのか? これは書いた文章が表現したい内容を、書いた本人ならば完璧に理解できるからでしょうね。文章はコミュニケーションの手段であるが、ただただ書いただけでは書き手の意図は読み手に想像以上に伝わらない。

 

このコミュニケーションの壁を超えるために昔から作家たちは努力してきたのである。心理描写なんかは読者の想像力に訴えて、作品に没入されるために恐ろしいまでに訓練しなくてはならない。あれは作家の才能と努力が噛み合った時に生み出される一種の奇跡である。例えば、鉄道員浅田次郎なんかは、高校生の頃に描写の勉強のために谷崎潤一郎細雪をまるごと書き写したらしい。あのごうつくな厚みのある細雪を高校生の頃にである。僕も描写勉強のために夏目漱石夢十夜を書き写したことがあるが、苦痛の割に効果が感じられなかった。浅田次郎細雪だけに限らず、いろんな小説を手書きで書き写すという練習をしてきたという。彼の潤沢な表現や言い回しはそれによって鍛えられたのだろう。

 

ブログをやってればわかると思うけど、会心のエントリーは思ったほどだれも読んでくれない。また、気を抜いて書いたエントリーが何故か炎上混じりのバズを起こして、後始末に苦労することもある。このあたりのどんな風にすれば読まれるのか、読者に通じる表現とはなんなのか? というあたりも少し考察してみたい。

 

ブログで重要になるのはネタ選びである。素人ブロガーはその日に何があったのかとか、思いついた一発ギャグなどをエントリーにしてしまうけど、読者はそんなネタはどうでもいいのである。だが、世の中には恐ろしい人も居て、その日に何があったのかという事だけを凄まじいまでの文章力で読ませてしまう人もいる。

 

manato-kumagai.hatenablog.jp

 

このあたりがそうだろう。スタバでギャルが駄弁っていたというネタを文章の面白さだけで読ませてしまうエントリーである。昔のテキストサイト全盛期にはこんなサイトが溢れていたが、今や、食傷を通り越して痛いだけなので、素人は下手に真似はできない。なのでどんなネタを選べば、読者が食いついてくれるかに力を入れよう。

 

ネタ選びで参考になるのはgoogle経由でどんなキーワードでサイトに辿り着いたか知ることができるgoogle search consoleである。はてなブログだと導入は簡単なのでぜひ入れておこう。

 

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僕のブログだと上記の感じである。殆どが林先生関連のキーワードで埋め尽くされている。僕のブログに来る人は林先生の話題を求めているのである。なので、読者層にウケる話題だけを考えるなら林先生の精神科Q&A特化サイトを作るべきなのだろう。

 

だがね、読者にウケるネタだけを選んだブログが本当に楽しいのか?というのは疑問を提示しておく。僕がウケるブログを作るためには毎日毎日林先生のネタを追いかけて、そのことだけを書かないといけない。これは相当にしんどいし、楽しくない。それに、後から自分のブログを読み返した時に面白いと思えるブログになっていないはずだ。これは手段のために目的を見失っている。

 

読者の尻だけを追いかけ回しているブログと、自分の興味をもっている分野に特化したブログ、どちらかをえらべと言われた時に僕なら後者を選ぶだろう。表現は読まれなければ意味がない。しかし書きたい内容が入っていない文章は表現ではない。書き手は自分が伝えたい内容を読者に届けるために努力を尽くす必要があるだろう。それに、伝えたい内容が入っている文章は何故かそれを求めている読み手のもとに届くものだ。ブロガー諸氏は楽しみながら日々を綴っていってください。

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