超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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不健全な状態ほどごちゃごちゃと余計なことを考えるものだ。

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家族から言わせると、僕は自信過剰らしい。まぁ分からなくはないが「で、それでなにか問題でも?」と言い返すところである。自信過剰だと駄目ですか? よく分からんネガティブ思考の癖して理由がないのに自分の問題に関しては甘々な奴よりはマシだと思いますけどね。自分で言うのもなんですけど、僕は他人にも自分にも倫理観とかルールの遵守には厳しい方ですよ。甘えたことを言うと、叩き斬ったりするから敵も多いですけどね。

 

今日書くことは前置きとも関係しているのかな。久々にシロクマ先生のエントリーに共感してしまいましてな、エントリーの紹介と軽く持論の展開でもしてみようかという趣旨です。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

この、「人はなぜ生きるのか」「どうして死んではいけないのか」という問いは、罠である。深く考えるとだいたいロクなことにならない。そもそも、こういう事を深く考えてしまう状況自体がロクなもんじゃない。


この一文は至言だとおもう。じゃりン子チエのおバァはんが言った名言を思い出す。

人間に一番悪いのは 腹がへるのと寒いゆうことですわ
長いこと生きてますとな ほんまに死にたいちゅうことが
何回かありますのや
そおゆう時 メシも食べんと もの考えると
ロクなこと 想像しまへんのや
ノイローゼちゅうやつになるんですわ
おまけにさむ~~~い部屋で 一人でいてみなはれ
ひもじい・・・ 寒い・・・ もう死にたい
これですわ
いややったら 食べなはれ
ひもじい 寒い もう死にたい
不幸はこの順番で来ますのや


『ひもじい 寒い もう死にたい』(出典:はるき悦巳『じゃりン子チエ』)|佐藤です、小説書いてます。


僕の観測視点の話だが、人生哲学をやたら語りたがるブロガーは幸薄そうだ。幸せになるための人生訓などをやたら語っているが、なにかしらコンプレックスの存在を感じさせるような幸薄い雰囲気というやつがある。幸せな人は「きょうはしあわせでした、こんないいことがありましたまる」ってな感じで日常茶飯事をただただ書き綴る。多分、本当に幸せな人はブログなんて書きもしない。古文の徒然草の時点ですでに「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と言っているのである。ブログを書くというのは健全な人がやる趣味ではないのだ。

 

幸せになりたければPCなりスマホを放り捨てて、町内一周マラソンを始めたほうがいい。大真面目に。少なくとも、幸せになるためにはどうすれば良いのか考えているよりは、家事や掃除をきちんとして身の回りの整理をした方が有意義な時間の使い方である。こういうアドバイスを言うと本格的に不幸せな考え方の人は、きちんとした時間の使い方を知るために断捨離などのライフハック情報を検索し始める。違う、そういうことじゃない。僕が言いたいのはなにも考えずに手を動かせということだ。断捨離とかTODOの使い方とか短時間睡眠法とか、そんな情報を口にした時点で自己啓発業界のカモだからあんましゃべらないほうが良いよ。あの業界には聞かれても居ないのに幸せ自慢をしてマウンティングしたがる人たちが沢山いる。「考え方のフレームを外せ!」と強弁するが、また違う種類のフレームにハマっている事は自覚しよう。キャッシュフローゲームってメタ視点を持ち込んだら前衛不条理劇みたいで面白いんじゃないかな?とふと考えた。幸せの度合いではラットレースにハマっている人のほうが幸せなんじゃないかと思う。

 

不健全なやつは幸せになる方法ばかり考えたがるといったけどさ、こういうアンチテーゼな文章を読んだ途端に逆に転ぶ奴もそれはそれで不幸せな考え方よ? いやさ、ちきりんの「自分の頭で考えよう!」はそれなりに正論だからファンも結構いるのよ? それ以外の炎上商法をやるからアンチばかりだけど、ちきりんは別に間違ったことは言ってない。ちきりんの事を書くとわざわざ検索してまで喧嘩売りに来るやつが居るのでそろそろ止めとこう。要するに、自分の考えは持ってないと自分が幸せか不幸せかも分からないという事である。自分がなにやってるかもわかんない人は、幸不幸以前の問題だからまずは自己分析してみたまえ。ローカルで日記を書くのがオススメだ。

 

ここでシロクマ先生の一文が生きてくるのである。

人生の意味を突き詰めて考えるなら、いわゆる「高尚な生きる意味」と「低俗な生きる意味」の境目なんてあって無いようなものだ。すべての人生は無意味でもあり、また、有意味でもある。そして人間には星回りというべきものがあって、アニメやゲームを生き甲斐にして生きる人は、その星回りのなかで、精一杯生きれば、あるいは生かされればいいんじゃないかと思う。そしてどうせ生きるのなら、楽しい思い出や感動した思い出を大切にし、蒐集し、忘れないようにするべきで、その主座がアニメやゲームにあるのなら、その活動を、その思い出を、丁寧に取り扱っていくのがいいんじゃないかと思う。


自分がなにやってるか分かってるなら、他人の意見なんぞどうでもいいのである。なんか高尚な人生哲学を語るのは格好いいが、行動が目的化している奴は傍から見ても痛々しい。不健全な奴ほどごちゃごちゃと余計なことを考えるものだ。

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