超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」←喋るぞ僕は。

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スーパーで「海人」を見つけてね、堪能しているところさ。

 

 

年金が入ってね、ちょっとだけ自分にご褒美しているところさ。↑ほどスーパーでは高くない。720mlボトルで700円ぐらい。

 

普段は「残波 黒」なのさ。「残波」と比べると「海人」は香りがマイルドだね。銘柄名のイメージほどのワイルドさはない上品な泡盛さ。「海人」はまさひろ酒造だからある程度は流通あるけど、どこでも手に入るって銘柄って訳でもないね。

 

芋焼酎とか日本酒とかウイスキーとかの洋酒とかなんでも好き嫌いせず飲む僕ではあるが、やっぱウチナーンチュは泡盛がナンバーワンさ。岡山で働いている時も沖縄から泡盛送らせて飲んでたからね。内地でも泡盛を手に入れることはできるのさ。軽くネットで漁った所では「瑞泉」とか「久米仙」が東京のコンビニにあるんだって。岡山で酒屋に行くと泡盛は一応、あったのよ。だけど、これが名前が訳わからん銘柄でな、ひょっとしたら内地で醸造された泡盛なのかもしれん。僕は見かけたことはないんだけどアサヒビール醸造している泡盛で「島思い」ってやつもあるんだってさ。まぁ新酒でしょうねー。泡盛は甕仕込みで貯蔵すればするほど味わい深くなるという特徴がある。ワインと一緒だ。ビンテージ物もあるんである。戦前の泡盛とか言うと洒落にならん価値がある。沖縄は戦争があったからね、何もかもが一回ふっ飛ばされてるんである。こんなん見つけた。

 

www.shikinashuzo.com

 

首里の識名酒造に150年ものの泡盛があるんだってさ。公式の記録に残るものではこれが最古なんじゃないかな?多分、家が立つぐらいの値段するぞ。なんかさ、古酒の品評会みたいな、各々が家に伝わる秘蔵の古酒を持って集まって飲み比べをする集いがあるんだってさ。そこで聞けばもっと古い古酒もあるかもしれん。首里あたりの酒造所に聞きに行けば詳しいことが分かるだろうが、その集いは経営者とかのハイ・ソサエティの人々の趣味の集まりらしくてな、そもそも参加費用が凄く高いらしい。僕も存在の噂を聞いたことがあるだけである。流石にそういう高雅な趣味の集まりに参加するほど枯れてはいないかなぁ。

 

ま、僕は流通している銘柄をちょろっとかじるだけで満足さ。古酒を集めて喜ぶようなオッサンみたいな趣味は持ってないさ。来週は「くら」あたりでも買ってくるかね。ちと高いんだが、あれは親父が好きな銘柄だったな。

 

さて、本題に入るか。微妙に喋り足りない気がするな。今日の本題は酔っ払って寝っ転がって寝ているうちに、ブログ書かなきゃと思い立って、頭に浮かんだヨタを書き散らしているだけである。まぁ、基本的にこのブログのエントリーってのは30分程度でいつも書き上げている。思いついた言葉をキーボードに叩きつけて2000字程度を殴り書いて自己満足しているだけである。それでも思うのさ、僕は極めて言論の浅い部分をフラフラと彷徨っているけど深い内容を語ろうとする時、言葉では説明できない領域があるのではないか?と。

 

ウィトゲンシュタインなる哲学者がいる。その人が哲学を語る時に「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」ということを言った。

 

breathein.html

 

僕も全然意味はわかんないんだけどな。高校時代は哲学青年だったんだけど、基本的に僕の哲学知識ってのは「ソフィーの世界」とか「文学部唯野教授」とかの受け売りを口走ってるだけで内容は全く無いのよ。それなりに哲学キーワードとかは知っているんだけど、その本質を知っているかというと、全然。だからこのヴィトゲンシュタインの文句に関してもアフォリズム的に格好いいなぁとは思いつつも、語り得ぬものがなんなのか?とか、どういう考察の末に沈黙しなければならないのか?とかはさっぱり分からないのである。そして、僕はわからないままにブログで取り上げて語ろうとしているのである。ちょっとでもものが分かっている人ならば「最低」と吐き捨てる行為だろう。だが、僕はやる。

 

ちょろっとこの言葉の意味を読んでみたんだけどさ、この言葉が形而上学を超える行為なんじゃないの?メタ的な視点というかさ。そもそも僕の哲学ってのは、「万人がいれば万人の世界観があり、そこを言葉で情報が行き来しているだけで完全な世界の共有は不可能」という考え方なのである。分かりやすく言えば、「真実は一つだけだけど、現実は見た人の数の分ある」というような考え方。スキームも固定していない断片的な言葉だけでどれだけ哲学を語れるか?とは思うけど、僕は居酒屋哲学にも真実はあるという立場なのである。自分の頭で哲学を考えれば、それは全て哲学だというゆるゆるの視点なんである。多分、本格的に哲学やっている人には怒られるだろうなぁ。でも僕は語るのである。一言のアフォリズムで〆よう。「口をふさがれるなら死んだほうがマシだ」。

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