超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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誰かを笑わせたり救う文章を目標にしているのだが届いているのだろうか?

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なんか、全く意義のない一日を送ってしまった。ほぼ一日中寝てた。睡眠時間14時間ぐらい。別に陰性症状がどうたらみたいな病的なものではないのね。ただぐうたらしてただけ。昨日の夜は酒飲みながら4時頃まで本読んでたからなぁ。昼夜逆転である。駄目人間である。休日を無駄に使って後から後悔するだけだもんなぁ。明日は外出する。


さて、今日も今日とてネタがない。時事ネタも昼間寝てたから収集できていない。加計学園なんぞはなかなかツッコミどころ満載なのでそのうち纏めようと思う。でもまぁ、政治宗教野球ジェンダーネタは書いた後、僕も反応がスリリングで安心できないからな。止めときゃいいのに自民党とか安倍首相に過激なdisを入れてるもんだから後々から保守系の連中からネガコメが届いたりするのね。そんなに頻度は多くないんだけど、たまに鉄砲玉みたいなネガコメが飛んでくるから何処か2chあたりの匿名掲示板で晒されてるかもしれないなぁ。僕はブログに関してはエゴサはやってないんだよね。だってさ、わざわざ自分に対する批判的な意見読みたい?ブログが読まれるようになってヲチスレとか立ち始めると、大概すっげぇネガティブな内容ばかりまとめられるから読むとモチベーションはゴリゴリ削られる。まぁ僕はそういうのは面白がって自分もヲチスレに参加して有る事無い事話しまくって主導的なやつを燃やしてスレを落とそうと企んだりする。しかしながら、ヲチスレまで立つと人気は本物さ。賛同者ばかりの奴は大概、内輪話ばっかりになっていってそのうち飽きられるからね。


twitterとかニコ動で動画主してたころはエゴサを頻繁にして、話題に取り上げてくれた人をフォローしたりRTしたりしてたんだけどさ、割と嫌がられるよね。僕の作っている動画なんかはアングラ気味だったので、あんまり見てること他人に知られたりしたくない種類だったのかもしれないなぁ。フォローとかしたりするにしても自分と趣味が合う人かは調べないといけないんだろうな。その前にアカウントが弱小過ぎて舐められていたって可能性も高い。まぁtwitterをフォロアー集めゲームと思っているなら業者を検索して探してみたら良いけどな。500円100ユーザーぐらいで買えるらしいよ。芸能人なんかは半分ぐらいは業者ユーザー使ってる。これで10万ユーザー位フォロアー居た炎上系のup主もいたな。こんな物で増やしてもすぐに見破れるものなんだけどね。SPAMer系は大概、業者使っているのでフォロバする際の参考にもなる。でもまぁ世の中には相手の信用性を落とすために業者ユーザーを敵対する相手に押し付ける奴もいるらしいね。


指定したユーザの偽ユーザー率を測定するこういうwebサービスもあります。


Home : Fakers App from StatusPeople.com


さて、今日の本題はどうするかね。ちょっと前のエントリーを読み返した時に「ゲシュタルトの祈り」に関して書いてあるエントリーがあった。ゲシュタルトの祈りとは下記である。

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それはしかたのないこと。


ゲシュタルト療法 - Wikipedia


僕は大学では心理カウンセリングについて専攻していたのだね。だから『グロリアと三人のセラピスト』っていう映画とか見せられたりしていた。フレリック・パールズはその映画にも出ていたな。僕の印象だけど、ゲシュタルト療法はクライエントに対して激しく感情の揺さぶりを仕掛ける所がある。怒らせたり、泣かせたりして感情を揺さぶってそれで自分のコアについて気が付かせると言うやり方なんだよね。個人的にはエリスの論理療法が一番、共感できた治療法なんだけどそれは別に今はどうでも良い。


僕の書く文章ってのはゲシュタルト療法的なアプローチをしていることが多い。僕の持っているコミュニケーションの信念は「人は人、自分は自分、されど仲良し」である。武者小路実篤の言葉なんだけど、人間関係について真理をついた一言だと思う。


僕はなるべくならば読んだ人を楽しませたり、考え方を変えたりするような文章を書いてアプローチしようとしているが、それは強制的なものではない。人と仲良くなるにしても相手が近すぎる距離感だとわざと無視したりする。僕は自分の考え方を他人に強制するものでもないし、他人の思惑を一々考慮して文章を書いたりしない。「もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。出会えなくても、それはしかたのないこと。」なのである。


しかしそれでも、この言葉が届いているのかたまに不安になる。人間ってのはつくづく孤独なものだ。

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