超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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本当に困った時は誰でもいいから助けを求めて欲しい。

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土曜日定例の質問箱の告知。質問箱への回答を日曜日にブログ上で行いますので、なんでもご質問ください。


peing.net


今まで質問箱に回答した内容はこのブログのタグ「質問箱」より確認できます。


www.ituki-yu2.net


質問箱への回答は毎週続いているけど、質問がないときは休みます。よっぽどの罵詈雑言じゃなければ全レスするように心掛けています。まぁ、今ん所SPAMやらネガコメが届いたことはないですけどね。


この質問箱ってどういう仕組みになってるんでしょうね?こういうタイプのwebサービスを作ろうと考えたら、SPAMとかネガコメとかの対策が肝心になるんだけどtwitterで見かける回答ではネガコメが来ているケースを見かけた事がない。結構、高度なSPAMフィルターを完備しているんじゃないかって気がする。どんな風になっているのか実験はしたことないけど、多分、ネガティブワードはブロックされるようになってるんじゃないかな?


開発者のせせりさんははてなブログに居るんですよ。こちらのブログになります。


blog.sesere.net


いろんなwebサービスを開発しては売却しているらしいです。こういうタイプのwebサービスはスタートダッシュが肝心だったりしますからね。ちょっとしたアイディアをすぐさま形にして、ヒットしたら売却するってのは新しいタイプのエンジニアの生き方かもしれません。


さて、今日は本題はどうするかな? どうも、心の中を占めている事があるんだけど、これを誰も傷付けない言葉で紡げるのか自信がない。


僕はまぁ、元々はてな村出身で、喧嘩上等で煽り煽られするのが普通な所があるので強面だと勘違いされがちだけど、身内の人間には親切にしようとするし、周りで困った人を見かけたら普通に助けようとする。


ただまぁ、精神構造が理系なもんだから、理解が出来ないことがあれば分かるようになるまで議論を尽くす事が当たり前だという批判精神が根っこの方まで染み付いている。元々、プログラマたちが作り上げた「はてな村」という完全理系の文化圏は、わからないことがあれば徹底的に議論するというのが推奨されていた。


今は面影も残していないけど、僕ははてな村初期頃の「モヒカン族」の生き残りなんですよ。モヒカン族のページがあったのでサルベージしてきた。


モヒカン族


僕のブログでのモヒカン族宣言はこっちだな。


www.ituki-yu2.net


はてなダイアリーだったらmohicanのタグを使った日記はモヒカン族トラックバック一覧に拾われるようになってるんだけど、どうやら、はてなブログに引っ越すと消えてしまうみたいだね。


だからまぁ、ネット上の人格はアグレッシブな側面を残しているんだよね。それでも攻撃すべきは間違った考え方であって人格批判ではないというのは徹底している。なにか間違ってると思えば議論をふっかけるのが普通だと思っている。突然、僕から言及されて焦った人は気をつけてほしいんだけど、言及は別に人格否定ではないのよ、僕は議論がしたいの。建設的な議論ってのはお互いのためになる。僕は普段からこういう考え方でコミュニケーションをしている。


だけど別に義理人情まで切り捨てたって訳じゃなくて、自分が救える範囲の人間は助けてあげたいなって思ってるんだ。僕は大学での専攻は心理学だったので、プログラマになれなければ心理カウンセラーになってただろう。困っている人を助けたい、みたいなボランティア精神が旺盛な方だ。まぁ、こういうのは自称するものでもないとは思うが。


ネットでのコミュニケーションで気をつけないといけないことは顔が見えないということだ。自分で発信しないと困ったことがあっても伝わらない。だから、弱りきっている人に気が付かずに強い言葉を使うことがあるかもしれない。もし、僕からそういう失礼な事を言われたらはっきりと嫌だと返して欲しい。


僕が付き合っている知り合いは、優しくて感性が繊細な人ばかりだから、突然、何も言わずに姿を消されると心配してしまうんだ。ひょっとしたら・・・・・・みたいな緊急性まで考えてしまう。世の中にいる人が皆、僕みたいなトンカチで殴られないと死なない人ばっかりだと思っているのが僕の悪いところだろうな。


本気で困った時は周りの人間に窮状を訴えて欲しい。できるならリアルのほうが良いけど、ネットでも誰かが相談に乗ってくれるかもしれない。助けを求めたら意外な誰かが助けてくれたりするように世の中は出来ているんだ。一番いけないのは一人で思い詰める事だ。


今日はゲシュタルトの祈りで締めようか。

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルト療法 - Wikipedia

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