超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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座間の大量殺人は文化の敗北だと思うのさ。

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今週のお題が「芸術の秋」とのことなのだが、晒せるような作品がないので来週までおあずけとする。今週の土日でなんか描こうと思う。曲がりなりにも絵描きとしての誇りはあるのだが、作品を書くまでに膨大な覚悟と時間がいるのである。おそらく今回はFFTアグリアスオークスを描くかと思われる。アグ姉を描きたいと言いつつ、まったく実行できる機会がないんだもん。でも、明日はポッキーの日なんだよな。twitterとかpixivはポッキーキッスの絵が溢れるんだろうな。この流れに乗らないと絵師とは言えないんじゃないか?とか思いつつつマイペースで自分の絵を描くのである。あんな難しい構図描けるかよ。


さて、今日は嬉しい給料日だった。働いて一月になるのだが、初給料である。額面は大した事がないのだが、初給料はめちゃくちゃ嬉しい。病気を発症させて働けなくなった後に、努力した上で得た一般就労なんである。これがどんだけこれがありがたい事か。僕は仕事に対してはガチで取り組ませてもらっている。僕は障害者だからといって、配慮されて中途半端な状態で働くことを良しとしていない。働くんであればきちんと成果を残すように取り組んでいるのだ。


幸いにして、僕はwebプログラマとしてのスキルを持っているので、実戦の場で足を引っ張るような事をせずに済んでいる。自分の古い技術がどれだけ役に立つのか心配だったけど、現場で求められるのは実際に手を動かして実装ができる者であって、持っている技術の鮮度ってのは大した問題じゃないのだ。


それでも技術は勉強し続けている。今日はQiitaで参考になる記事を見かけた。最近は最新のまとまったフロントエンドの情報を集めているのよ。Qittaは技術者が集まっている感じで役に立つ。自分用メモと情報共有のために貼っておこう。


qiita.com


qiita.com


qiita.com


現状働いている現場はフロントエンドを主にやる感じだから、javascript系統の情報が必要になってくる。そもそも僕の専門は、サーバに潜ってコマンドラインvimを駆使してbashzshシェルスクリプトを書くようなサーバサイドエンジニアなんだが、求められるのならばAngularJSやCoffeeScriptを使うフロントエンドで戦うのもやぶさかではない。求められたらなんでもやってしまうタイプなのでmacの為にobject-cでドライバのプログラムを書いていた経験もある。


IT系でも種類があるけど、Web系の職場ってのは即戦力以外はいらないって所ばっかである。こういう鉄火場でこそ僕は燃える。10年間、ほぼほぼ中小企業でwebプログラマとして経験を積んできた僕の主戦場はこういう場所だ。サーバサイドだろうがフロントエンドだろうが、全てのスキルを求められる合戦場だ。フルスタックエンジニアと名乗るつもりはないが、こういう所で戦っていると全般的な知識が身についてくる。


最近はswiftとかkotlinも勉強してアプリ開発も手掛けたいなと思っているのだ。噂によるとC#maclinuxでも使えるようになって、クロスプラットフォームのプログラムが書けるようになっているとも聞く。スマートフォンアプリの開発もしたい。勉強はどこまでも続くな。


さて、今日の本題は座間の連続殺人事件を取り扱いたいかなと思った。


あの殺人事件をみていると自殺志願者の問題とか、twitterを始めとするSNSとかの問題とかいろんな問題が見えてくるのだが、肝心な所がぼけているように見える。それでいながら、日本の行政はtwitter社に自殺志願ツイートの規制を求めている。


自殺予告ツイートとか一般のクラスタの人は見ないかもしれないけど、メンヘラクラスタだと普通だよ。メンヘラクラスタだと日常的に自殺志願の記事を見かける。まぁ、僕は関わらんようにしているけどさ。


こういうファッションな自殺志願者は普通に存在するんだけど、実行に移そうとする人とはどこに差があるのか気になる。


「死にたい」などと検索するとGoogleでは心の相談室なんかへ繋げるようにしている。一方、座間の一件でtwitterは自殺志願者の規制に入った。これがどういう悪影響を及ぼすのかは想像に難くない。自殺志願者は地下に潜って、アングラで行動し始める。死にたいなどとツイートしている人をみているとあれは一種の発作であって、実際の行動につながるものではないのだ。むしろtwitterの自殺予告はガス抜きな効果で自殺予防に効果があったのではないか?と僕は憶測する。地下に潜ると今まで以上に自殺志願者の保護が難しくなる。なんなら、座間の模倣犯が分かりにくいWebの暗部ではびこるかもしれない。


座間のシリアルキラーをみてどういう理解をするべきなのか判断に困るのだが、あれを「心の闇」として押し込めるのはいけない。一時、犯罪心理学ブームで異常心理が世間でまことしやか語られていたけど、あれは実生活と異常心理を分離するだけの役割しか無かった。実際の大量殺人鬼は我々の生活と地続きの場所にいるのだ。座間の事件をみているとそれが分かる。


僕的にはこれは文学の仕事の気がする。自殺に繋がる物語を解釈して、再構成して、良き物語へと解釈する文化が欠けているような気がするのだ。要するに現代の文化全体が座間の一件を生み出す素養があったから発生した事件だと思うのよ。文学というよりは文系学科の敗北。理論では推し量る事ができない情緒面での未成熟さ。そういうのが日本全体を覆っている気がしてならない。

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