超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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読書一つをとっても人間の器は知れるものなのである。

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今日はフォーマルの方の年賀状を作る日だった。まぁ大した事はしていない。Webの無料素材を取ってきてWordで貼り付けるだけ。素材はこっちで取ってきた。


cp.c-ij.com


宛名書きはwordの差し込み印刷で対応。wordとexcelがあれば別に専用のソフトを使う必要はないのである。以前は筆王とか使ってたけど、excelで管理できると分かってからはこっちを使っているな。


www.microsoft.com


なにかしら細かいことをやる必要が無いんであればこれで全部対応できるな。住所の印刷の改行の変更とかが面倒だけど、これは他の宛名書きソフトでもおんなじもののようなものだろう。差し込み印刷の仕様は調べたことが無いけど、その気になれば結構細かい部分まで対応できそうな感じはする。


まぁ、後は印刷と個別のメッセージ書きなんだよね。これが面倒くさい。


印刷だってコストが掛かる作業だ。プリンターのインクというのはクソ高い。プリンターはCanonPIXUS MG6530を使っているけど、最近のプリンターのインクは純正のものだとフルセットで4000円とかするからな。流石にアホらしくてインクはバルク品買ったよ。中国産のインクだと200円で買える。こっちも安すぎてクオリティは心配。amazonのレビューによると印刷物の経年劣化が凄い以外には普通のインクとおんなじように使えるとのことだ。別に年賀状は長年保管されるような印刷物でもないしなぁ。


印刷するのは10枚程度だから新品のインクタンクを用意しとけばインク切れの心配はないだろう。明日、インクジェット対応年賀状を買ってきて印刷する。年賀状を印刷する時期になると年末が来たって感じがするよね。普段は書類はほとんどペーパレス化しているもんだからプリンタを使うのは年末だけだ。


送り先の各個人に対してコメントを付けるのが結構時間使うんだよね。僕は割合古い人間なので印刷しただけの年賀状を良しとはしていないのである。年賀状には手書きのメッセージを一言添えた上で送るのである。というか、これは常識だよね? DMでもあるまいし、印刷しただけの年賀状を送りつけるようなのは流石に常識はずれだろう。


カフェにでも篭って、ちゃっちゃと仕上げてきましょうかね。こういう真面目な仕事は家だとやる気がしないよな。書こうと思えば1時間もあれば出来る仕事なのでさっさと仕上げてしまおう。


さて、今日の本題。今日は考え方カテゴリーで一本仕上げてしまいますか。


僕は色んなブログを読むんだけど、ブロガーというのもピンからキリまでで、この人の人間としてのレベルは圧倒的に自分よりも上だと認めてしまう凄い人もいれば、僕よりも年上らしい大人がどうしてこんな事も分からないんだろうと呆れ果てるタイプもいる。ブログというものは書き手が普段考えていることがモロに現れるメディアである。その人の思考のレベルは読者にはバレバレになる。


そういう人間としてのレベルを推し量るためにはどのような面を参考にしたら良いのか、僕の長年の人間観察の手の内を公開しよう。


その人の人間としての器を推し量るためには、どういう物に感心して感化されるかを観察したら良い。普通の人ならば自分の関心から近い新しい情報なんかに興味を持ったりする。自分の感性と違う所で妙な事に感動したりする人は、自分とは合わない人なので気をつけよう。


これは僕の完全な私見なのだが、ちょっと読んだ自己啓発本なんかにすぐ感動して影響されたりする人は器が小さい。人として生きる指針を次から次へと経変更して中心となる柱を打ち立てず、ただその時読んだ本に影響されて、それっぽい名言を吐いているだけなのだ。


偉人の本なんかを読んで「斯くの如く生きねば」と生活態度を改めるのはどんな人にもあるだろうが、自分の中心となるコアがあってそちらに取り込むような形でそういう情報には対応する。だけどたまにやたら何もかもにも感動する「感動したがり」が居たりするのだ。ちょっとそういう人が身近に居たので観察してみたのだが、意識が高い割には人間としての行動のレベルが低い。何もかもにも感動して名言を引用する割には、煙草吸ってたりギャンブルしてたりして生活態度がだらしない。


僕もある程度長く生きてきて分かってきたんだけど、自己啓発系とかその他の哲学系の学問ってのは、確固とした自分がないとちゃんと吸収できない情報なのね。筆者の考え方に共感するというのは、今まで生きてきた人生の積み重ねをその思想と勝負するようなもの。書かれたことを丸呑みするならば、何も読まないよりもたちが悪い。


『読書百遍意自ずから通ず』という名言がある。これは色んな本を読むよりも一冊の本を熟読することを勧めた本である。ショーペンハウエルの「読書について」も自分のコアがない人が読書をした所で意味がないと喝破した本であった。


読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)


本を読んで共感するという行為は、今までの人生経験と照らし合わせて一致する部分から自分の行動を振り返る行為なのだ。よく分かってない人間は言葉それ自体に価値があるとしてありがたがる。僕的にはそれは作者に負けを認めて腹を晒す行為だ。読書だって一種の勝負だ。

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