超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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死にたいぐらいなら逃げればいい。ただし、自分の人生からは逃げるな。

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いやー、昨日の365日記念エントリーで温かなコメントをいっぱいありがとうございました。人生には数回は輝く瞬間があると思うのだが、昨日がまさしくそれだったね。いやまぁしかし、実際、大したことやってる訳でもないからな。色んなブログで継続日数をヲチする事はあるんだけど、1000日以上ってのを見かけたことがあるよ。はてなダイアリーの方だと10年間毎日更新っていう化け物クラスを見かけたことがある。日記系ブログでは継続日数が凄まじくなっているケースが多い。僕のブログは毎回毎回なにかしらのネタを盛り込んでいるから毎日更新はしんどくてしかたない。それでも365日ってのはまだ想像できる範囲内の行動って感じさ。ま、それでも結構な苦労の上で達成した業績ではあるからちょっとだけ自慢させてもらった。


さて、これからの運営方針はどうしたもんかね。365日をとりあえずの目標にしてたもんだから、毎日更新は止めてもいいかな?って思ってるのよね。ブログで重要なのは多更新よりも質の高いエントリーをちゃんと上げることって言説もあるじゃん。だから、僕ももうちょっとアイディアを寝かせて膨らませたエントリーを書いたほうがいいのかなー?とか考えたりはするんだよね。Google先生に気に入られて検索流入UPする記事を量産しよう!みたいな事は全く考えていないんだなこれが。別にアフィとかPVとかをモチベーションにして書いている訳でもないからね。僕がブログを書く理由ってのは、僕の書いた文章が誰かの暇つぶしになったり考え方を変えるきっかけになればいいなーとかそんな感じ。一応、お金が入ってきたら嬉しいからGoogleアドセンスとかAmazonアソシエイトを設置してるが、これはブログの運営費をペイするためのものでこれで「アフィで食っていこう」とか「ブログで自由に生きたい」とかで行動している連中とは一緒にしないでほしい。


結論としては、更新頻度に関しては維持できる限りは現状の毎日更新を続けていこうと思う。こうやって日々のルーチンに組み込めているから365日連続更新とかできたんだろう。書きたい時に書くというやり方だと、僕の場合はブログを書くことに飽きていたかもしれない。毎日の生活の中で何かしらのアウトプットを続けるというやり方は案外、悪くない生き方だ。毎日その場で言語化しているのでフラストレーションが溜まりにくいし、色んな人のブログを巡回することで人生に対する視野も広がった。そして、少なからず読者からのレスポンスも返ってくるようになったのだ。これは毎日更新の良かったことだろう。


悪いことも無いわけでもない。時間に関しては他の人のブログ巡回の時間含めると毎日3時間ぐらいはブログに費やしている。これはかなり時間の無駄遣いじゃなかろうか?毎日3時間を資格試験の勉強に当てていれば、結構な難関資格でも取得できていたかもしれない。これ、ちょっと見直した方がいいかなと思ってるんだ。事前に告知はするけど、毎日更新を辞める時は案外あっさりと辞めるよ。僕のブログの11年の歴史ってのは集中的に毎日更新している時期と1年ぐらい何も書かない時期でなりたってるんだ。死ぬまでブログは辞めるつもりはないけど、毎日更新に関してはその時々において余裕がある時にやるって感じ。今は無職だから時間があるんだ。就職でもきまったりしたら時間はなくなるだろう。今と同じスタイルのままでブログ更新し続ける事が難しくなる事もあるかもしれない。


さて、初っ端からどうでもいい話をしてしまった。今日は9月1日についてちょろっと書く。


なんかさ、9月1日は児童生徒の自殺が一年の中で一番多い日じゃないらしいですか。いじめとか受けている子供が二学期が始まって学校に行きたくないから自殺を選んじゃうんだろうな。痛ましい。今年は2日と3日が土日だったから明日辺りからが本格的にキツイ日なんじゃなかろうか?


僕のブログでは、過去エントリーで死にたくなった人に読んでもらいたいエントリーを書いたことがある。自殺なんてつまらんよ。そんな選択肢を選ぶ前にまずはこいつでも読んでみてごらんよ。


yuki-2021.hatenablog.com


鎌倉市図書館のツイートを再掲しておく。



僕もそんなに明るい学生生活を送ったわけではないから、図書館に籠もりきりの高校生だったんだ。真正面からクラスメイトに向き合わない後ろ向きな生徒だったけど、まぁそれなりに人生を過ごすことはできているわけだ。


知ってるかい?人生ってのは何やっても続いていくんだぜ。ブラック企業に使い潰されて発狂して精神病院の閉鎖病棟にぶち込まれた人間でもこんな風にブログを書き綴るぐらいの生活はできる。時間があるんだったら僕のブログを最初っから全部読んでご覧よ。11年間も続いているブログだから読んで時間潰しになることだけは保証しよう。こういう駄目人間でも生きることはできるんだぜ?


死んだらお終いだ。身近で人が死んだ経験をしたことがあるかい?どんなに成功して社会的地位が高かろうが、いかに金を持っていようが死んだら何もかもが終わりなんだ。本気で嘆いてくれるのは家族だけだ。どんなにすごい人でも死んだら数年も立てば完全に無になる。死んだらあの世があるとか生まれ変わりで転生するなんてのは信じるな。あれは騙された人から金をむしる別口の地獄だ。


日々に生きている証明を付けていくことは無駄じゃない。どんなに苦しい一日でも数年も立てば忘れてしまうし、時には良い思い出として思い出すこともある。生きているってのは可能性があるということなんだ。すべての価値観は動いていて決まった答えなんて無い。自分がそれで正しいと思う答えを見つけ出したら、それだけで意味がある人生なんよ。他人の意見ってのは参考意見にしかならんのね。自分で自分の人生を肯定できるならその瞬間、世界や人生すべてが輝き始めるはずだ。


難しい事を言っている事は分かってるけど、簡単に自殺に逃げようとするな。一時的な苦しみだけで可能性すべてを全否定するのは簡単だ。ホームレスみたいな人間の屑みたいな生き方をしている人間でも救われる可能性がある。自分が「これでいい」と思える人生ならば、どれだけ負債があっても一瞬でチャラだ。自分を否定する他人の言葉など耳を貸すな。


さて、最後にニーチェの言葉で締めよう。ツァラトゥストラは永遠に繰り返す永劫回帰の中ですべての運命を肯定した。厭世観にみちた世界がこの瞬間ですべてが裏返り、永遠となった。世界を愛するには自分を克服する克己心さえあればいい。どんな虚無感であろうが自分には克服できる力がある。

これが人生であったのか、よし、それならばもう一度!

フリードリヒ・ニーチェ著 ツァラトゥストラはこう語った


ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)

ツァラトゥストラはこう言った 上 (岩波文庫 青 639-2)


ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)

ツァラトゥストラはこう言った 下 (岩波文庫 青639-3)


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