超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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年齢を経るに従い、年相応の行動が求められているってのはあるのかもしれない。

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なんかね、今日、良さそうなYoutubeチャンネルを見かけたの。


cgtracking.net


クロッキー用のポーズ集が4000体程度入っているYoutubeチャンネルがあるんだってさ。これはお絵描き熱が滾る。僕が絵を描く時というのはちょっとやる気が出たときだけだ。普段から練習しているわけではない。だから、いざ書き始めて難しいポーズにチャレンジした時に全然描けずに、泣く泣く違うポーズにすることも多い。だからクロッキーだけは普段からやっておきたいなーとは思っているのよ。お絵かきってのは金の掛からない趣味だ。100均で自由帳なんぞを買ってきて、シャーペンと消しゴムがあればそれで落書きしていればいいだけだ。


今日の本題はさ、僕がお絵かきを未だに趣味にしていることから発想したんだけど、年相応の行動ってのは社会に出て活動してたら求められることだよねってことだ。


僕はまぁ、それなりにいい年のオッサンなのだが、未だにアニメを見るし、デジ絵を描くし、二次創作の小説を書く。ふつー、こういう趣味はモラトリアムの時期で脱出するものなのであり、僕程度の年齢になると卒業しているものなのだがこっそりと続けている。まぁなんつーかですね、僕はリアルでは極めて健全な一般人を装っているもんだから、趣味関係に関しては完全に隠れヲタなんですな。僕が萌系イラストを描くという事を知っているのは家族とごく僅かな親しい友人のみである。ヲタバレを恐れてフィギュアどころかスマホケースみたいなグッズも買えないという苦しい人生を送っている。最近の若い衆なんぞはオープンヲタが普通らしいね。マジで羨ましい。


ちょっと前に流行った漫画で「俺はまだ本気出してないだけ」って作品があったよね。



この作品は子持ちの40歳で漫画家を目指して会社を辞めてしまう主人公の物語である。実言うと読んでないんだけど、設定だけで頭の中を妄想が駆け巡る。もし、そういう奴が本当に親族にいたら痛いどころじゃなくて大迷惑だろう。この種のワナビは家族がいたら卒業しないといけない。家族のために夢を捨てる選択は普通にありえることだと思う。


僕自身、小説家ワナビだというのはあるんだけど、これはあくまでも宝くじを買っているようなもので「当たればいいな」ぐらいの感覚のものなのだ。夢を買っているようなもので本気で生活を掛けてやっているほどのものではない。趣味なのだ。


僕の生活と関わってくることなんだけど、僕は病気やって年金暮らしだから一般人と比べると比較的時間があるんだよね。だから未だにモラトリアム人間みたいなことが出来ているんだけど、もし、一般就労が決まった後に、おんなじようなヲタ活できるんだろうか?もし、恋人が出来たりとか結婚したりとか、子供が出来た後におんなじようなヲタ活をやっているやつはいるんだろうか?


「人間はいつからでも夢を追う事ができる」みたいな言説もあるけど、理想論じゃないかなと思う。やっぱり養うべき家族なんかが出来た時に、自分の好き勝手趣味を続けていくというのは難しいだろう。そういう人生のしがらみを捨ててアウトサイダーみたいな生き方をしている奴もいるが、一般世間から見た時にそういう奴は格下扱いを受けるのだ。よっぽどの才能があるやつならば趣味で成功することもできるけど、特に才能もない普通の奴ならばタダの変な奴という評価で終わりである。


というか、今回お話していることに関しては自分が誰かに伝えるために書いているというよりは、僕の悩みを人生の先輩方にお尋ねしたいって感じなんだよね。僕はそれなりに生きてきて世間のことが冷静に見える程度には成長して来たけど、これからの人生で頼りにすべき柱ってものがまだ成立していないって感じ。好き勝手生きていって失敗しながら学ぶものなのかもしれないけど、もうちょっとスマートな方法があるんじゃないかってのが頭に引っかかっているんだよね。なんかいい方法ありますかね?


こういう悩みを解決するためには本を読むべきなのかなぁと思うけど、自己啓発本なんかを読んじゃうと逆に迷わされるだけだろう。スピリチュアル辺りに引っかかると目も当てられない。古典を読むべきなのかなぁ。夏目漱石辺りなんかはモラトリアム人間のあり方をテーマにして書かれている小説ばかりなので多分、このあたりだろう。漱石読むかな。


一応、人生に付いての考え方なんかの名言ではやっぱり孔子のこの言葉じゃないかな?

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。


孔子が云う、
「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。


論語


孔子にして人間的に完成するまでに70年が掛かるのだ。一生ってのは長いもんだな。

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