超メモ帳(Web式)@復活

統合失調症を患い、はてなからも逃亡。現在、復活のため準備中。


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今だからこそ相模原やまゆり園の障害者殺傷事件を振り返る。

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NHKで相模原やまゆり園の障害者殺傷事件に関する報道をしている。あの事件から1年か……。風化させてはいけない事件だから軽く触れておこう。


犯人の植松聖は相変わらず「障害者は殺せ」との主張を続けているとのことだ。一体何が植松被告をここまで先鋭化させているのかを分析している。精神鑑定ではパーソナリティ障害だそうだ。NHKが植松被告と文通した内容では、ISISの思想とトランプの演説をみて障害者の殺害を決意したとのことだが、多分、デタラメだろう。自己愛性人格障害だからね、自分を演出するためにISとかトランプとかを利用して権威づけしようと思いついたのだろう。


犯罪心理学に意味なんてあるのかというのは昔っからの疑問だ。一時期、プロファイリングとかでロバート・K・レスラーなんかがブームになった時期があったじゃん?「羊たちの沈黙」あたりでレクター博士の異常心理の分析なんてやってた時代があるんだが、犯罪心理学に興味本位以上の内容があるのかどうか疑問だ。加藤智大が東京拘置所の中で本を出していたんだけど、その無反省ぶりに苛ついた思い出がある。


東拘永夜抄

東拘永夜抄


この「東拘永夜抄」というタイトルは東方の「東方永夜抄」の微妙なパクリなんである。このあたりでかなりコアな東方Projectファンの僕は怒った。たしか、twitterの東方ファンのコミュニティではみんなで出版社にクレームを入れようという運動まで起きていたはずである。なんのつもりで加藤智大はこのタイトルにしたんだろうな?内容は自分が起こした事件について分析をしているらしいが、全く反省していないそうだ。


植松聖はどうなんだろうね?未だにこいつも全く反省していないようなんだが、そこまで固持するような思想性なんてあるんだろうか?特殊な心理学による分析なんて必要ないよ。犯行の時に責任能力があったかどうかの精神鑑定で心理学などは必要になるけど、その後は必要ない。犯罪心理学ブームはタダの視聴者の野次馬根性だ。推理小説なんぞの探偵役がプロファイリングで分析する辺りからそういう犯罪心理学に憧れるらしいけど、犯罪者に共感したところで得られるのは破滅的思考だけだ。「ストロベリーナイト」の姫川が、犯罪者に対する共感能力が高いので犯人が分かる能力を持っていたけど、その犯罪者への共感ってのは破滅と紙一重なところがあってガンテツから警告を受けていた。わざわざ異常心理に共感する必要なんて無いよ。普通に生きるのだって難しいのになんでわざわざ糸を絡めるみたいなことをするんだろ。


植松聖の「障害者は生産性がなくてコストがかかるから殺せ」っていう言動に共感するアホがいるらしいな。そういう合理性だけで社会を回していった時に、いつ自分が不要な側に入れられるのかの想像力が全く欠けているのだろう。自分が高齢者になって福祉や介護が必要になったときにおんなじこと言えるなら聞いてやるよ。でもまぁ、健常者にとって障害者ってのは遠い存在なんだろうな。だから、こんな愚かな思想に共感してしまう連中がいるのだろう。


たとえばさー、僕は普通に大学出て新卒でバリバリプログラマやっていたときは、障害者なんてものは意識もしてなかったんだけど、連日徹夜とか毎週休日出勤なんてスタイルで仕事してたら統合失調症、発症しちまったい。過労だと普通はうつ病なんだけどさ、僕の場合はうつ病もやった上で薬飲みながら働こうとしてたら幻聴幻覚みるようになって自殺未遂しているからな。もともと脳がストレスに弱いタイプなのに、無理やり過酷な労働環境で働こうとしたら、それほど統合失調症の遺伝的資質がなくても発症するらしいね。100人に1人が統合失調症を発症すると言われている。いつ自分が発症するとも限らんぞ?


統合失調症なんてものは世間様からの偏見が恐ろしく強い病気だ。僕は差別が怖くて未だに大学の同級生の健常者にはカミングアウトできていないよ。統合失調症だと分かると腫れ物扱いの健常者っているからね。まぁ同病者の方に向けて話すなら、無理やりカミングアウトしなくていいよ。未だ社会の方に受け入れ体制ができてないと見たほうが良いよ。医者が精神障害者グループホーム建設に反対運動して炎上した馬鹿みたいな事件もある。


news.yahoo.co.jp


特に植松聖みたいな思想は極端だけど合理的と見える人もいるかもしれない。だけど、考えてほしい事は、障害者がいらないってことで排除した後、次に差別の対象になるのは誰だってことだ。ナチスドイツが差別を段階的に広げていく時に、自分には関係ないとして無視してたら誰も社会で反論する人がいなくなったという事を、ニーメラーという牧師が詩にしている。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia


まぁ僕の主張としては、障害者も社会に受け入れられるために積極的に説明していかないといけないなってことである。差別されると嘆くだけでは現状は変わらんよ。動ける障害者は障害者の実際を社会に説明する責任がある。いまだ社会の障害者に対する認識が不十分なので、相模原やまゆり園の事件みたいな事が起こる。この事件を風化させてはいけない。

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