May 27th, 2011 by yuki_2021

photo credit: marfis75
文学フリマに出展することになりました。電子書籍・電子雑誌のN.E.Yearsさんの出版するLiBu Graphに掲載される予定です。
タイトルは「ナナシノユウレイ」で椎野樹名義で出展しています。文学フリマにいらっしゃる方は、ぜひぜひ手にとって読んでもらえると幸いです。
あらすじはこんな感じです。
霊能力を持つ女子中学生・根神玲は、あるとき川原で頭蓋骨を拾い出す。その頭蓋骨の主である女子高生は玲に、家族の元へ連れて行ってくれるように依頼。その途中で彼女の天然に巻き込まれつつも何とか家族の元へたどり着くことができた。しかし…。
筋立てはドロドロしているように見えますが、ぶっちぎりのハッピーエンドです。泣きながらほっこりしたい方にお勧めいたします。
もともと僕はあんまりWebでも露出するのが好きじゃないんですが、N.E.Yearsの北原さんから応募してみないかとメールがありまして、北原さんの文学に対する強い思いに引かれて、一本書いてみようかなと思い、書いてみました。
今回、創作した物語はわりと、物語の構造に忠実に書けた感じですな。ここ最近、主観で物語を書こうとして書ききれないケースが多々あったのでしたが、今回は短編一発で割り切ってプロットを切って書いてみたら予想以上にうまく書けた感じです。
N.E.Yearsさまで6月15日刊行です。文学フリマのブースはB-05になります。興味をもたれましたらぜひぜひDLして読んでくださいませ m(_ _)m
電子書籍・電子雑誌のN.E.Years
Tags: 小説, 創作, 文学フリマ
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December 27th, 2010 by yuki_2021

photo credit: juliejordanscott
1.自己表現なら他でやれ
書きたいことなど書くな。感想も書くな。オリジナリティなどくそくらえ。
ただ書かなければならないことだけを書け。
書いている間だけは、そういう「機械」になれ。
これだけで書く速度も、読みやすさも3割増しになる。
もともと人は、書き付けた言葉を前にして「こんなの私じゃない」という違和感を繰り返し受け入れることなしには、一言だって書くことはできない。
あなたが書いた文章は、あなたではない。
いいかげん目を覚ませ。
このことが理解できない限り、誰のアドバイスも添削も、あなたは受け入れることができないだろう。
そういう人は、つまるところ、他人に見せる文章を書く資格が無い。
とにかく速くて論旨も首尾一貫する文章の書き方
読書猿さんのところのエントリーで気になったので、文章と自意識について一つエントリーを書いてみる。
文章を書く上で自意識はやっかいな問題である。あまり自意識に囚われすぎていると、書いた文章の粗が気になり始め、何時間たっても一行も書けないことはしばしばある。
また、筆が進むからといって調子に乗ってガンガン書き進めると、文章がスカスカだったり、場面進行の速度が早すぎたりしてしまう。
自意識とまともに向き合って文章を書くということは、非常に骨の折れる仕事なのだ。
言葉の一つ、句読点の位置、読んでみたときの音の響き。こだわりを持ち始めると、いつまでたっても文章を書き上げることができなくなる。言葉ってものは本当に奥深くて、そこに自意識を表現しようとすると堂々巡りの無限回廊を彷徨ってしまったりするわけだ。
また、もう一つの問題点がある。
自意識をむき出しにして書いた文章というのは、人を辟易させるということだ。
このとき僕がイメージするのは山田かまちの「17歳のポケット」なのだが、あまりに直截的に自分の持っている不安感や無力感を文章に叩きつけられると、読んでる方は引いてしまうんである。
それを芸にして文体を築き上げている人はいるが、一夕一朝にできることではない。
露骨な自意識は人を不安にさせる。中二病的なイラストや文章を読んだときに感じる不快感もこれなんじゃないかなと思う。
創作でも、論文でも、文章を書くときには一定の「型」がある。
初心者が文章を書き始めるときには、「型」をまずマスターする必要があるだろう。
守・破・離とあるように、文体を崩すときはその「型」をマスターしたあとでいい。
自意識なんてものは、「型」にはめて表現されて見るに堪える。
そんなものじゃないかと僕は思う。
Tags: 創作, 考え方, 文章法
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December 8th, 2010 by yuki_2021

photo credit: woodleywonderworks
夢を職業にするということに考える事など。
一応、自分はWebプログラマとして7年近く働いている。それなりに仕事に対してはプライドを持って生きている。とはいえ、ずっと雇われでやってきているので、フリーランスで自分の腕だけで仕事をとってくる人たちから見たら、笑われる程度の覚悟かもしれませんが(w
僕は趣味で同人小説を書いたりしますが、こちらは完全に趣味の世界なので、世間的にこの文章を見たときに売れるかどうか?ということは二の次だったりします。もちろん文章書きのサガとして、自分の書いた文章を数多くの人に読んでもらいたいという欲求はありますが、それでもマーケットに出してみたときの価値は二束三文だろうなと予測しちゃいますけどね。
デザイナーや漫画家の視点からのエントリーですが、参考になりそうなので引用します。
はっきり言ってしまうと、好きなものを仕事にしている人というのはどこか頭がおかしいんですよ。頭が悪いという意味ではありません。むしろ大半の人は賢いです。アニメーターでも漫画家でもそうですが、基本的に大半の人が常軌を逸した労働環境の上で、やっと食えるくらいの賃金で働いているわけで、まともに考えればリスクを負わずに普通に働いた方が楽しい人生を送れるに決まっているわけです。それでもその職に就く人間はそういう普通の感覚が麻痺してしまうくらいそれに賭けてきてしまった人たちなわけです。
夢を諦めさせる
そもそも、第一線で活躍している「好きなことで働く」人はその好きを人の評価で諦めたりしない。それだけしかないのだ。それ以外に生きている実感がわくものが見出せないし、想像もできないのだ。もちろん人間だから仕事が辛すぎて辞めたいと思うことも何度もあるだろうが、仕事が始まる前から不安に思って人に相談するようなことは絶対ない。その世界に飛び込むきっかけ、そこには惰性などない。純粋な欲望に近いエネルギーが渦巻いているはずだ。他者が介在する余地がない。
そもそも夢は「諦める」という概念自体が欠如している
僕は大学では心理学を専攻していました、今の職業に就こうと思った理由は、卒論で視覚心理学の実験を行わないといけなくなり、被験者用にPHPでサイトを組んで実験を行っていたのですが、専攻していた心理学よりプログラミングの方が面白くなってしまい、現在に至ってしまいました(w
キャリア的に考えると明らかに悪手なんですがね・・・、まぁ冷静に考える余裕などは無かったですね。
何かやりたいことを持っていてそれを職業にしたいと考えている人は、その事に対して客観的に後々のキャリアまで考えたりしていないのではと思います。自分自身のやりたい欲求が渦巻いてしまい、それ以外の事は見えていない状態。
これはデザイナーや漫画家など、内面のメンタリティーが重視される職業の人では顕著なのかな。プログラマなどでも異常に効率が高い人間は、全然周りが見えていない人などがいますが、その人たちも上記のエントリーのメンタリティーに近い人たちなのでしょう。
だけども、自分は夢に対して没頭できないと悩んでいる人が絶対にプロになれないかというと、それは違うと思います。伊能忠敬は58歳のときから測量を始めて日本地図を完成させています。どんなジャンルでも晩期大成の人間ってのは存在します。ここでタイトルにもしていますが、「あきらめない奴がプロになる」というのが原則だろうと思うのです。本当にやりたいことであるならば、いちいち人の意見や世間体で迷ったりしません。
いまさら梅田節ですが、直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
Tags: 創作, 勉強, 習慣, 雑感
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December 2nd, 2010 by yuki_2021

photo credit: craigCloutier
人生に一発逆転はないが、鍛錬の積み重ねによる逆転はある
タイトルに惹かれて読んでみると、なかなかに辛辣な内容だった。
確かに、日本に住んでいる人々は自分も含めて格差に鈍感である。というか、話題にしてはいけないことだと考えているのかもしれない。日本の文化の中には一億総中流といったように、自分は社会の中では中流の階層に居ると認識する空気が存在している。
しかしながら、ここ十年ほどでその認識は崩れ始めているのではないかと思う。例えば、一時期、秋葉原無差別殺傷事件の犯人、加藤智大を英雄視する人々が2chに存在していた。
加藤よ、裏切ったな
派遣社員や期間工などには、働いても働いても楽になることができない人たちがいる。いわゆるワーキング・プアだ。秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大も派遣社員として働いていたが、クビにされたと勘違いをして凶行を犯した。その心情を携帯掲示板に綴っていたのだが、加藤の社会に対する冷めた観察眼が同じ立場の若者達の共感を得ていた。貧困生活の鬱屈から無差別殺人を犯した加藤を英雄視するというのは、相当に抑圧された視点だろう。
別に僕は、社会全体を救う方法だとか、みんなが幸せになる方法を考えようなど考える訳ではないが、社会全体の閉塞感というか、この息苦しさは何とかならないものかとは思う。まぁ、自分にできることは観測して、一つの視点と寓話を編み出していくだけだ。
Tags: ワーキングプア, 社会
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September 7th, 2010 by yuki_2021
プログラミングや文章、イラストでもいいですが、何かを必死に練習している時に、自分よりも遙かに高いレベルにある技術を持っている人の作品をみると、自分には到底かなわないという感情が生まれてきて、練習や勉強に対するモチベーションがだだ落ちします。なにくそという気で、そいつを追い抜くために努力をしても、大概の場合、燃え尽きるだけです。
他人と比較をするからだめなのです。人間には適性があるのだから、できる奴と自分を比較したところで一生掛かっても超えることができない人は存在するのです。第一、練習をしていても楽しくありません。何かを続けるためには、やろうと思う事それ自体に楽しさを生み出すことが必要なのです。
モチベーションを維持しながら、練習を続けるためには他人とは比較はしてはいけません。比較をするならば過去の自分と比較をしましょう。
たとえば、文章法の勉強ならば、昔に書いた文章を読み返して、「こんなへたくそな文章を書いていたな。それより今はこんなに巧く書けるようになっている」とこのように考えるようにする。過去の自分より、今の自分は成長をしている。その自覚が次に進むためのモチベーションが生みます。
モチベーションを生むためには記録をつけましょう。未来の自分がそれを見返したときに、成長を確認できる記録があれば、先に進む羅針盤になります。
Tags: モチベーション, 考え方
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August 28th, 2010 by yuki_2021
人間が表現する手段はいろいろとある。絵や文章、僕はプログラムも表現の手段であると考えている。作家とプログラマというのは、意外と類似する点が多いと思う。
会社というのは都合のいいように、プログラマには歯車であってほしいと考えます。コードが美しいかどうか、アートかどうかなど関心を持っていません。内面の美は外から見えず、コードに内在しています。ソースコードはアートで作品なのです。……アーティストは歯車ではない。
まつもとゆきひろ(Rubyの開発者)「QCon Tokyo 2009」の基調講演より
私は芸術的なことが好きですので、Perlをひとつの芸術作品だと考えていますが、ほかの人たちが芸術作品をつくるための道具とも考えています。
ラリー・ウォール(Perlの開発者)
じ~んときた!現代のエンジニア22人の名言集/Tech総研
土をこねて器を作った時代から、人類はその器に模様をつけて美を表現しようとした。現代においても同様だろう。プログラムという道具を作るにしても、それが単なる無機質な物質であることはあり得ない。プログラマ達は作品にそれぞれの理念を表現しようとする。
コンピュータに単に命令をする記述をするだけでは、プログラムは巧く動かない。どんなモジュールを作成して、どう組み合わせて、完成した一つのプログラムにするのか? 一とゼロしか分からないコンピュータに、効率よく命令を実行させて処理を実現するのか?
そのときの思考プロセスは人物とシチュエイションをよりよく組み合わせるプロットを考えて、一つの物語を紡ぎ上げる作家の思考そのものだ。
作家の中にも巧拙があるように、プログラマも初心者と達人の差がとても大きな職業だ。初心者プログラマをいくら人月でつぎ込んでもどうしようもないプロジェクトを、さっくりと一人で解決してしまう達人プログラマがいる。建築家やデザイナーと一緒で、プロフェッショナルが存在する世界なのだ。
プログラマはソースコードで表現するアーティストであると、僕はそう思う。
プログラマというのは物書きである
Tags: プログラマ, 創作
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August 27th, 2010 by yuki_2021
ダニエル・ピンク 「やる気に関する驚きの科学」を見たのだけど、これは考え方を変えるおもしろい論だと思った。
人間の習慣や学習効果を高める方法にスキナーのオペラント条件付けという学習理論がある。これは、ある行動を定着させたいときには好子とよばれる自発行動を誘発する条件を利用して、その行動を学習させようというものである。
たとえば、心理学では有名なスキナーボックスという実験がある。箱の中に絶食したネズミをいれておき、ブザーが鳴ったときにレバーを押すとえさが出るような仕組みを用意しておくと、ネズミはブザーが鳴るときにレバーを押すとえさが出てくることを学習するようになる。えさというインセンティブ(報酬)のためにレバーを押す行為を学習するのだ。
オペラント条件付けは、人間の学習のモチベーション高めたり、習慣付けにも利用される。たとえば、ダイエットをするときに運動した自分へのご褒美を与えたりする方法論などは、誰でも一度は読んだことがあるだろう。しかし、今回見た「やる気に関する驚きの科学」ではそれとはまったく逆の結果がでたという。
パズルなどのゲームに、インセンティブを用意する群と用意しない群に分けて、大学生に実験してもらったところ、インセンティブを用意した方が結果の時間が遅くなったというのだ。動画の中の解説では、インセンティブを用意することで思考の視野が狭くなり結果を低くしたという。つまりは、人間の習慣づけにおいて、自分へのご褒美のような好子は逆効果になるということだ。
では、どのようにすれば人間はモチベーションを高めるのか?それは内発的動機付けであるという。
例えば、Atlassianというオーストラリアのソフトウェア会社では、エンジニア達に24時間何をやってもいい一日を与えるそうである。その一日でエンジニア達が好きに開発を行った結果、普段の仕事では得られないすばらしい成果を得ることができるのだという。
Googleでは20%ルールというものが存在する。仕事の中で20%は普段の作業から離れて自由に使うことができるというものだ。GmailやGoogleカレンダーといった、Googleの主力のサービスはこの20%ルールから生まれてきた。
新規事業を生み出す「20%ルール」
アイディアを生み出したり、何かを創造する仕事では、何かのためにやるのではなく、それがたのしいからやるという内発的動機を育てることが重要なのだろう。
■ 参考サイト
「外発的動機づけ」と「内発的モティベーション」から、やる気を考える
■ 備考エントリー
勉強法について
Tags: 学習, 心理学, モチベーション
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August 26th, 2010 by yuki_2021
僕がブログにいろいろな事を書き綴る事は、自分が今まで得てきた情報をアウトプットしてまとめるためである。
もっといろいろな事を学びたい。そのためには、短期で消えてしまう脳の記憶を外部記憶に保存して、とらえ直す事が必要だと思うのだ。人間の思考はなにか別のメディアに移し替えてやらないとすぐに消えてしまう。アイディアを生み出したり、複雑な事を考えようとするならば、紙やブログなど外部のメディアに考えをアウトプットしながら思考を続けてやることが必要だ。
またブログを書く理由はそれだけではなくて、自分自身が思っていることをもっとうまく表現するための発声練習の意もある。
自分自身が考えていること、それをなるべくうまく人に伝えるためにはどのように表現したらよいのか? 人に自分が考えていることを伝えるためには、言葉を介したコミュニケーションが必要となる。そのとき、論理的であるということは、相手に自分の考えを効率的に伝えるために有効である。そのための訓練法として長文の組み立ては有効だと思うのだ。
僕は創作で小説を書いたりもするので、美しい文章を書いてみたいというのもある。
小説での表現は、通常の文章法とは違って比喩や隠喩などを使った文章になる。これは作家自身の感性の描写が必要になると思うのだが、その描写力は一夕一朝には身につかないと思うのだ。最近、文章法の教本として「文章のみがき方」を参考にしているのだが、そのなかに、日常的に文章を綴ることの必要性があったので引用する。
①毎日、机の前に坐る。坐る、という姿勢があなたを規制します。
②なんでもいいから、書く。間違っても「巧いことを書いてやろう」「人の度肝を抜くようなことを書いてやろう」などと思ってはいけない。
③最小限度の単純な言葉で、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書く。素直に、単純に、そのままを書く。
宇野は書いています。「繰り返して言いますが、書く前に坐ることです。小説は誰にでも書けるが、毎日、どんなことがあっても坐るということは、誰にでもできることではありません。……坐ると、昨日までの自分の考えたこと、書いたことをぱっと思い出す。つまり、昨日までのあなたの技術と、今日これから書く技術とがつながるのです」
さらに「毎日坐って、坐ってから考えるのです。何を書くか、どえらいものを書こうとしてはいけない。肩の力を抜いて、ただ、頭に浮かんだことを正確に書くのです」
宇野によれば、これが第一段階の練習です。坐って、肩の力を抜いて、あなたの見たこと、考えたことを正確に書く練習をすること、これは、文章を書き始めようという人に対する、実に適切で、実に実用的な忠告だと思います。
文章のみがき方 p52~p53
文章で自分の持つ何かを伝えたいと思う人には、毎日、書き続けることは必要な訓練だと思う。自分もなるべくならば、毎日、ブログを続けていきたいと思う所存です。
Tags: ブログ, 文章, 文章法
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August 18th, 2010 by yuki_2021
ご存じMicrosoftのビル・ゲイツ氏が、現在の教育をWebが取って代わると言及していた。
「ここ5年以内に、最高の教育リソースは無料でウェブ上に現れてくることになるでしょう」と、カリフォルニアのレイク・タホエで行われたTechonomyカンファレンスにてゲイツが発言した。「個々の大学などよりもはるかに良い教育を提供できるようになるでしょう」とのこと。
現状の教育体制には教科書に関する問題もあるのだとゲイツは言う。小学校においてすら、算数の教科書は300ページを超えるものとなっている。「分厚くて強圧的なんですよ」とゲイツは述べる。「中身を見てもいったいなんのための本なのかちっともわかりません」。
ビル・ゲイツ曰く「5年以内に最上の教育はウェブからもたらされるようになる」
ビル・ゲイツが、ここで論じていることはFacebookのような集合知が大学に取って代わる事を指しているのか、電子書籍の発達に伴い、ペーパーメディアから教育現場が離れることを指すのかは読み取ることができなかった。だが、現時点で教育が、電子書籍を含めたwebメディアへすぐさま移行していくことは考えにくいだろう。
電子書籍自体のあり方を否定する訳ではない。むしろ、Web業界で口を糊する者として、電子書籍が一般へ定着していくことを楽しみにしている人間の一人である。しかしながら、それ故に現在のテクノロジーでの電子書籍が、紙媒体での教育に取って代わる事は難しいと思う。
電子書籍で感じる問題点としては、その書籍の終わりまでの経路を直感的に感じる事ができない事だ。紙媒体のメディアでは、ページを見ることで、あとどれぐらいで終わるかを直感的に理解できる。電子媒体では、プログレスバーやページ数を表示することで書籍の進捗を表現しているが、ペーパーメディアと比べると直感的でない。
特に小説では、その問題点は致命傷だろう。
小説は、主人公と一緒に小説の世界を旅をする様なものだが、旅の終わりが見えないのは、疲れるし、ダレる。ペーパーメディアの書籍であれば、残りのページ数を一目することで、これからどれぐらいで終わるのか予測することができる。これが電子書籍だとすると、わざわざプログレスバーを呼び出さないと、どの程度ページ数が残っているのか分からない。ユーザインターフェイスの問題だが、現時点ではiPadもKindleもその点をクリアする方法はできていないのではと思う。
検索性といった点では、電子媒体は強力だ。しかし、それはシーケンシャルに情報にアクセスする時は便利であっても、一覧性には欠ける。紙媒体が電子書籍に勝てる箇所としてはその点があるかと思う。
あとは、紙媒体を使って勉強するときは、ページの脇にメモ書きをしたり、ラインを引いたりする。この自分が覚えるためのタグを埋め込む作業を行えない点も、電子書籍での教育を阻むだろう。電子書籍のフォーマットであるePabで変わるかもしれないが、現時点で編集を行える電子書籍フォーマットはPDFが現実的だろう。PDFを編集するにはAdobeのAcrobatがあるが、高価である。電子書籍としてPDFを読むためにはしおりぐらいは無いと困るのだが、無料でお手軽にそれを実現できるいいツールが見つからない。
以前のエントリーでも書いたのだが(意識を分断するもの)、Webの情報は細切れで存在している。それを体系的にまとめ上げる能力が無いと、Webを使いこなすのは難しい。例えば、検索ですぐに情報にアクセスできるとしても、それを検索するキーワードが無いと見つけられない。見つけたとしても断片的でそれが、どういった文脈で存在するのか理解できないことになる。
学校での教育というのは、歴史や数学でも、体系づけたひとまとまりで情報をとらえることを身につけさせられる。webで得た情報が、どういった意味を持つかを知るには、それを紐づける体系的な知識が必要なのだ。それを身につけるためには、情報を一覧しやすいペーパーメディアで学習する方がいい。
そういった点から、教育ではまだしばらくはペーパーメディアが存在し続けるだろう。
■気になるサイト
ライティング スペース―電子テキスト時代のエクリチュール
Tags: 学習, メディア, 電子書籍
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August 13th, 2010 by yuki_2021
amazon Kindleが日本語対応になったという事がtwitter界隈ほかを駆け巡っていますね。情報を読むたびに物欲がぢくぢく刺激されて、内なるワタシが覚醒しそうです。スペックに対する和訳のエントリがあったので引用します。
Amazon Kindle 3 前世代バージョンとの比較(改善点): 赤狐がめぐる冒険
液晶サイズは変わらないまま 21% 小型化。
重量を 17% 軽量化。
E-Ink Screen の採用による 50% コントラスト改善、見やすくなったテキスト文字。
内部メモリー容量を 2MB から 4MB に拡大。
ページ移動を 20% 高速化。
Wi-Fi 通信サポート。
スクロールやズームなど PDF リーダーの機能改善)
WebKitベースのブラウザ追加。(米国以外では一部制限)
メニュー部分の音声ガイド機能。
バッテリ駆動時間の改善( Wi-Fi オフ時 約1ヶ月 )
コストダウン( Kindle3 Wi-Fi 版 US$139、Kindle2日本発売時 US$270)
日本語、中国語、韓国語、キリル文字等の多言語化対応。
白(white)以外に黒(graphite)カラーが選択可能に。
うはー。どうしよかな、円高もうちょっと進んでから買おうかな。もうちょっと待って日本語に完全対応してから買った方がいいのかなぁ。
自炊したPDFを読むためだけの用途でiPadはいまいち買う気になれないのです。kindleぐらいの値段と軽さがちょうどいいのかな。堂々巡り。でもたぶん買う。
Tags: ガジェット
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