超メモ帳(Web式)@復活

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村上春樹の『約束された場所で』を読む。

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wakarimasita of Flickr


「約束された場所で」は村上春樹が2001年にオウムの元信者たちを取材したノンフィクション作品である。村上春樹はこれ以前にも「アンダーグラウンド」として、地下鉄サリン事件の被害者たちの生の声を取材したノンフィクションを書いている。おそらく、村上さんにとって地下鉄サリン事件とはそれほどの衝撃的な事件だったのだろう。あの事件が日本の社会の歪みを端的に表した事件だったのは分かる。この「約束された場所で」ではオウム元信者達に直接取材することで、麻原彰晃が作り出した歪んだ物語の存在を、村上さんとしては直接的に提示する。


読んでみた感想としては、オウム元信者達も話してみるとまともな人ばかりだなということだ。いや、余計な打算が無い分、一般人よりも純粋かもしれない。彼ら(彼女ら)は、社会に生き辛さを感じていた。悟りと解脱という自己実現を求めて、それを謳っているオウム真理教の門を叩くことになるのである。ここでインタビューに答えているのは一般人よりも思慮深い人ばかりだった。


例えば、狩野浩之さんは子供の頃に大人へのイメージが壊れてしまい、それから世界の破滅をイメージするようになった。大学生の時に体を壊し、それの治療ためにヨーガを習うためにオウム真理教に入る。読んでいても理論的な思考が出来る人で新興宗教にハマるタイプだとは思えない。しかし、一旦出家してしまうとオウム真理教のワークや修行で徹底的に洗脳される。本人の答えている内容では普通の世界と陸続きな世界に思えるが、LSDを投与されて行う修行など、常人の世界からは犯罪的だと思う事を淡々と答えている。地下鉄サリン事件から6年後のインタビューの時に至っても「ひょっとしたらこれは本当にオウムがやったのかもしれない」という認識である。徹底的に情報から遮断されて、教団を信仰するように教育された結果、教団を離脱してもその犯罪をちゃんと認識できない人間ができあがる。理性的な人であっても新興宗教はハマるのである。哲学的に考えた結果、凄い教義をみせられるところっと信じてしまうのかもしれない。


神田美由紀さんは極めてスピリチュアルというものに親和性を持った人だった。幼少期より夢と現実の境目がよく解らず、16歳の頃に兄弟全員でオウムに入信する。この女性は、村上さんも言っているが、オウムの中で生きる他無い人生だったのだろうという風な思考を持っている。霊的なものに対する信仰が強く、現実的な思考よりも霊的世界の方が上にある考え方をしている。こんな人がどの様に社会に受け入れられるか考えないといけないだろう。この神田さんは現実世界で人間と付き合って、お金を稼いで、結婚してという風な一般的な幸せを一切受け入れず、悟りと解脱のみを人生の目標にしている。こんな考え方の人は社会でも爪弾きにされるだけだろう、ひょっとしたらオウムの中で一生過ごしていたほうが幸せだったのかもしれない。実際、サティアンの中で仲間たちと一緒に修行していた事を語る時が一番イキイキしている。


僕が読んだ印象で書いているが、村上さんは極めて中立的な立場でインタビューをしている。僕の書いた内容は多分に偏見が含まれているだろう。オウム=悪という印象が世間では広まっているが、村上さんはそういった視点は別の人がやればいいとして序文で突き放している。彼らが信仰を深めていく様子と、自分が小説を書く心理は似ているとして共感を感じている部分もある。極めて真摯に元オウム信者達に向き合っているのである。


テープの書き起こしも村上さんがやっているのかな? 普通、話し言葉だと言い淀みとか単調な繰り返しがあるが、この本に書かれているインタビュー記事は、流暢で文学的な香りすらする。その人が語りたかった内容を村上さんがきちんと再編集して文字として書き起こしている感じだ。読後感は小説を一冊読んだ感じである。


さて本質的な部分に触れようか。オウム真理教は社会でどんな存在意義をもった組織だったのか? それは完全な悪として否定されるべきだったのか? まず、現代の社会では物質的に潤沢になったが心の不在が問題となっている。世間には一定数、内面に向き合って課題をクリアしないと生きていけない人がいるだ。そういった人達を救うのが哲学や宗教なのだが、日本にはそういった向きを否定しがちな文化がある。オウムは分かりやすい教義と実践的なヨーガのノウハウで、ある程度簡単に神秘体験まで到れる優秀な宗教だった。麻原彰晃が語る物語は社会から爪弾きにされている人々にとって正に理想だった。極めて粗雑な形ではあるが、サティアンなどの外部から断絶された形で理想郷を作り上げようとしていた。東大出身のエリートたちも、社会に出ても歯車として消耗させられるだけという、心の隙間にねじ込まれる形で麻原彰晃ユートピア論に賛同してしまったのだ。


現代の問題として、社会からはみ出してしまう人を救う正しい物語が少ないという事がある。インタビューで答えてくれた人たちは、幼少期から人生について考えていて答えが見いだせないという共通点があった。そこに麻原彰晃の悪しき物語が合致してしまったのである。彼らを社会につなぎとめておくだけの正しい物語が現代社会に無かったということである。村上さんは河合隼雄との対談でそれは家族であるという答えをだした。親や兄弟と繋がっている事ができたなら、新興宗教で奇矯な仲間意識でしか繋がれないということは無かっただろう。


また、正しい物語は現実の人間関係だけとは限らない。小説の一冊からでも心の救いを得られた、ということもあるだろう。村上さんはこのオウム・インタビュー連作とも言える「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の後に「1Q84」を書いた。ここでは新興宗教が大きな役割を果たす。小説家である村上春樹の思考は、オウムが与えた社会へのインパクトに対するカウンターとして、自身の内面を掘り下げた形で「1Q84」を書いたのだろう。表現者はかくあらねばならないという彼らしい答えである。


ここからは完全に蛇足。村上春樹の正しい物語に対する追求の仕方ってのは前々から僕の指針にしていることでね、僕も物を書くならそうじゃないといけないなと思っているのよ。そして思うのが二次創作ってのは正しい物語の拡散の仕方としては理想的な形なんじゃないかと思ってるの。僕がやってるのは東方Projectの二次創作だけどさ、別に艦これでもグラブルでもなんでもいいや。キャラクターを脳内で動かして自分の理想郷を作るというのは無条件に楽しい。さらにwebに公開すると、オリジナル作品よりも多くの人が読んでくれて拡散していく。同じ作品のファンがweb上でクラスタを作っている。これは分かりやすい正しい物語ではないだろうか。人から認められないという悩みでもやもやしている人は二次創作をしよう。創作は頭を使うけど楽しいし、多くの人が読んでくれる可能性もある。オリジナルで書くよりは設定・キャラクターが揃っているから書きやすいし、脳内でキャラが動く様子は単純に萌える。世界中の人が二次元で萌えているなら争いはぐっと減ると思うんだけどね。まぁヲタクは攻撃性高いからそんなに単純でもないか。


約束された場所で―underground 2 (文春文庫)

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アンダーグラウンド (講談社文庫)

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