超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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マインドフルネスとかヤバそうな気がするのは僕だけなんだろうか?

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はてブにはとあるマジックワードがある。有名ユーザxevra氏が言い始めた「運動睡眠瞑想野菜350g」という言葉である。なんとなく不健康そうなエントリーを書いているブログに、この言葉を書くだけで上から目線のマウントポジションが成立する。はてなブックマークでデビューしたいという方々はぜひ覚えていってね! しかし、このワードを使っただけで一定数のユーザから敵認定されるので注意しよう。


この「運動睡眠瞑想野菜350g」が何を表しているかというと、人間が肉体的にも精神的にも健康であるためには運動、睡眠、瞑想、そして野菜350gを毎日取ることが重要だよね、という極々常識的な事である。しかしながら、これを発言しているxevra氏はそこに余計な一言を付け加える。「運動、瞑想、睡眠、野菜350gで人生は大きく改善する。この基本が出来てない奴は挨拶すらまともにできない。」などと余計な煽りを毎回するもんだから、「運動睡眠瞑想野菜350g」という言葉は煽りのマジックワードに昇格してしまった。xevra氏本人が「運動睡眠瞑想野菜350g」について解説しているエントリーも有る。


http://xevra.hatenablog.com/entry/2016/09/30/220230


なんとなく捕捉されるのは嫌なので、リンク抜きにしとこう。でもはてブとブログではxevra氏は人格が違うような気がするのは僕だけだろうか? はてブでは狂犬の如き凶暴性だけど、ブログではわりと穏やかな話し方が出来る人だよね。


人間が健康的に生活するために、運動、睡眠、野菜摂取することが重要なのは分かるけど、瞑想が必要かどうかってのは、僕は正直疑問だなぁ。今日、web巡回をしていて下記のサイトを発見した。


zasshi.news.yahoo.co.jp


マインドフルネスなどで瞑想を始めた人たちによくある現象として、次のような事があるらしい。「瞑想が進むにつれて意識が変容して、美食やお酒を嗜んだり、音楽や映画を鑑賞したり、恋愛やセックスを楽しんだりする意欲が減退して、『こんなはずじゃなかった』と思い悩んでしまう」。


マインドフルネスなどの瞑想関連の流行でやっている人はさ、無意識を弄る怖さってのを全然認識していないとおもう。無意識から変容してしまうってのは、自覚している自分から全然変わってしまう可能性もあるということだ。これが良い方向だけに進むとは限らない。上記で瞑想に違和感を感じる人達みたいに行動意欲が減少する可能性もあるということだ。


禅宗では師匠を付けず勝手にやる座禅を「野狐禅」といって戒める。自分勝手な座禅で勝手に悟ったと言いふらした僧が、500回、狐として転生させられたという公案があるとのことだ。

「無門関」第2則の「百丈野狐」の公案には、前世に百丈山にいた老人が、かつて覚った者は「因果に落ちない」と言い、「空」の境涯のみを持ち上げて因果の理法を無視したが為に、五百生の間、野狐身の畜生道に堕したという話がある。この話からいったんの「空」の無相の境涯に捉われて、真に妙有・妙用(みょうう・みょうゆう)の境地に達しないのに、自ら覚り終ったとする独り善がりの増上慢(ぞうじょうまん)の禅をたとえて言ったものである。


野狐禅 - Wikipedia


このように野狐禅では勝手に悟ってしまったと妄想してしまう者が出ると言われてる。こんな自分勝手な悟りを「魔境」といって禅宗では一番恐れる。

魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘もある。


臨済は、「瞑想により仏陀如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」「仏見たなら仏を殺せ」と教えている。これは、瞑想中に神格を持つものとの一体感を持った結果「自分はすごい人間だ」と思い込んでしまい、エゴが肥大してしまうのを防ぐ、すなわち魔境に入ってしまう状態を防ぐための教えだとされている。


実際に光のようなものが現れても、それは単なる脳内の視覚野の発火現象であるという意見もある。


魔境 - Wikipedia


単純に言ってしまえば、自分勝手な座禅は発狂してしまう可能性もあるということだ。だから、師匠や指導者が付いて、適切な助言をもらう必要があるのだろう。


心を静かに落ち着かせて、イメージなどを抑制していくというのが瞑想。そこからさらに悟りを目指すのが禅宗。だけど、やってることはそんなに変わらないと思う。マインドフルネスも本を読んでいると、悟りを匂わせる表現を使って読者の興味を引いている。イメージとしては覚者を目指すというところは一緒なんだと思う。


無意識はブラックボックスみたいなもので、何が出てくるか分からない物だと認識していたほうが良い。軽々しく扱うと、とんでもない悪夢を見せられたりする。瞑想は無意識をケアするために有効な手段だけどさ、扱っているものが無意識だということは自覚しておかないといけない。瞑想して何が起こるかは自己責任で。最悪、瞑想で魔境という発狂もあるようだし鬱とか統合失調症なったりすることも有るんじゃないかと思うよ。マインドフルネスとか瞑想はそんな軽々しく薦められるものでは無いと思いました。無意識までコントロールしようとすることは、人間の増上慢だと僕は思うんだがね。

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