超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕の求める理想の大人は承認欲求なんか求めないんだが、甘いんだろうか?

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朝から小説を書こうとしていたのだが、眠くてついぞ叶わぬ。このだらけは何だ? 来週はバレンタインが有るからイラストも描きたかったのだ。こりゃ無理だな。仕方ないから、アベマTVで「幼女戦記」の6話を見た。超面白い。主人公はチート能力持ちなのに調子に乗ると必ず失敗するのが予想できる辺りがバランス良い。「Re:ゼロから始める異世界生活」辺りを面白いと思った人は「幼女戦記」も良いですぜ。


小説の構造とかモチーフとかにこんな贅沢に物量ぶち込んで良いのかなと心配になった。なんせ東方二次創作だからな。これは書き上げても全く見返りを求められない作品だ。これは公募で使う作品に取っておこうかなと思うようなモチーフまでぶち込んでしまった。僕は割とこういうことをよくやる。まぁ本人の作品であるならモチーフや構造はリサイクルしてもバレないだろうから大丈夫か?とは思っているのだが、自分のテンションが問題なのである。例えば、輪廻転生しても永遠に想い続けてる恋人たちをモチーフにして作品を書いたことがあるんだけど、完全にそのモチーフに東方キャラが根付いちゃってね、多分、オリジナルでリライトしても多大な影響を受けるだろうことは想像付くわけよ。なんかさー、同じ影響を受けるにしても「大江健三郎構造主義的神話論から影響を受けている」というのと「東方の萌えキャラで二次創作書いた影響を受けている」というのでは作品の値打ちまで随分と変わってくる気がする。もし僕がまかり間違って後世に残る作品を書いてしまうと研究者は真面目な研究本は書いてくれないだろう。いやさ、僕はラノベ寄りの作品を書くから大丈夫かな?とは思うんだけど、純文学的な衒学趣味で読者を楽しませるような作品のアイディアもあるわけよ。ちょっと間違うとそのアイディアまで東方の二次創作にぶち込みそうな気がして怖い。僕のは別に趣味だからいいかーとかガキみたいな立場とってるけど、同じプロ志望のワナビがこんなバカなプロ志望の話を聞いたら助走つけてぶん殴ってくると思う。僕もこれに関しては割と真剣に悩んでる。


さて本題。読者諸氏は理想とする人間の姿とかある? 僕は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を理想の人間像としている。


「雨にもまけず」詩碑

みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい


このあたりなんか最高にクールだと思う。なんかさー、人間本来の生き方のスタイルになってくると承認欲求なんかは全然いらなくなるんじゃないかなーと最近考えるようになってるのさ。


本当に自己実現まで達成した人物がfacebookの「いいね!」の数に心動かされると思う? あんなものはガキの遊びと一緒だと思うのさ。多分、人間が成長していく上でネットというのは邪魔にしかならないんじゃないの?と過激な暴論を述べてみる。


人間の知能というのはITのお陰で全知全能に近い所まで拡張されたと思う。ちょっとわからないことがあれば「Hey, siri!」なり「OK, Google!」と呼びかければ答えてくれるデバイスを身近に有るわけである。外国でもこのデバイス越しに全く知らない言語の人間と会話が出来るようになっている。僕は人間が神に近づく為のバベルの塔というのはITの存在なのだと確信している。


だけど全知全能の存在にしてはwebで見かける人たちってのは随分と子供っぽい連中ばかりだと思うのさ。僕なんかはヲチャーなので、炎上を見つけると喜々として近寄って今回の炎上の原因とどの程度火が回っているのかなどを調べるのだけど、この関係者の中に人間的に尊敬に値する人物を見つけ出すというのは、砂漠で一粒の白ごまを探すのと同程度には難しい。そういうことを考えること自体が無理筋なのである。踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。なのである。


興味深い試みがある。webに機械学習するAIを放つとどうなるかという社会実験に近いことをマイクロソフトがやった。結果はこうなった。


togetter.com


アメリカでは人工知能差別用語を連発するようになり緊急停止され、一方、日本では「腐った」。同じ住むなら日本のほうがマシだなと思わせる結果だが、僕が言いたいことはそういうことではない。


なんというかさ、ネットに深くコミットしたところで人間的に成長するということは無いんじゃないかな? ネットで色んな人と結びつくようにはなったけど、これが良き物語を生み出すかというと僕は疑問だと思う。ネットで見える世界というのは性善説性悪説があるならば、性悪説が適応される世界だと思うのさ。本気で自己実現まで達成したい人物は多分、ネットなんかは関わらないほうが良いと思う。多分、思考は紙の書籍ベースにしたほうが心静かに自分の内面に迫れるんじゃないかなと思う。


ま、僕が求めている完成した人間像ってやつが「大自然と書籍の友」なんでそれに引っ張られた文章だけど、本当に人間が成長していく上でネットは要らないというのはマジな意見なのさ。ネイティブでネット文化に触れる層がどんな思想になっていくのかは今の所、ディストピア小説の書き出しみたいな事件しか見えてこない。ネットはバベルの塔なのだろう。高く積み上げたら崩れるだけだ。

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