超メモ帳(Web式)@復活

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『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(南直哉著)を読んだ。

『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』(南直哉著)を読んだ。


今日は休日ということで朝に食材や洗剤などの買い出しに行ってきて、そのあといつもの海岸でぼんやりとしていた。今現在の僕の状況としてぼーっとしていても常に思考に悩み事のネガティブなイメージが浮かびやすく、意識的に雑念から距離を置くようにしないとすぐにグルグル思考が始まって感情的に摩耗していく。いつもの海岸では1時間ばかし海を眺めていたけど、この精神状態をどうにかできないものか?と思って20分ほどマインドフルネス瞑想の呼吸瞑想をしていた。


マインドフルネス瞑想に関しては、結構長い間継続して毎日練習し続けている。確か、マインドフルネス瞑想を習慣化しようと思い立ったのは去年の8月ごろだったと思うので、もうちょっとで一年間ぐらいは継続してマインドフルネス瞑想を練習できてることになる。感じる効能としては、性格がずいぶんと穏やかになったんじゃないかと思う。気分が静めやすいとかそういう効能は未だによくわかってない所がある。瞑想をやってるときはたしかに雑念を抑えることができるのだけど、普段の生活の中では相変わらず雑念からのグルグル思考に苦しめられることが多く、この雑念検出する能力をどのようにして生活の中で適応していくのか?ということがよくわかってない。


マインドフルネス瞑想を始めるにあたって色々と文献調査をやってたのだけど、この瞑想で気がついたマインドフルネスの感情を日常生活に適応していく事ができるらしいことは書かれていた。家事をするにしてもその手を動かす感覚にフォーカスを当ててみたりとか、食事をしたり歩いたりする時も身体の感覚にフォーカスを当てる。こういうのを専門的にやる瞑想の技法としてはヴィパッサナー瞑想とかいうらしいのであるけど、本を読んでみたけど練習方法がすごい苦行だった記憶がある。僧侶たちは本当に一日中呼吸にフォーカスをあてつづける練習をしたりするらしいのである。禅寺ではこういう風なマインドフルネスの感覚を生活全てで気が付かせる方法が工夫されてるということだ。


マインドフルネス瞑想だけではなくて仏教の坊さんの説話の本とかも色々と読んだりしているんだけど、気づきが多い。僕は抹香臭い宗教が嫌いだと公言してはばからないけど、どうにも坊さんたちの説教というのは極めてロジカルで、人生の悩みに対してこのアプローチは有用そうだと思わされる言葉が多くて感心している。まぁ、本気ではまり込むと出家してしまうので程々にしますよ。


なんかさ、僕はそろそろ40代なのだけど、人生において簡単に解決しそうにない問題だとか課題だとかが最近になってズンドコ目の前に積み上げられてきて精神的にパンクしそうになってるんですね。自分の人生がハードモードであるとは自覚はしてたんだけど、親の介護やら親の世代が解決してなかった問題を全部僕が抱えさせられてたりとか、どうにもこうにもそれ以外の人間関係でも重荷を背負いつつ歩まないといけないようなのである。仕事の人間関係も嫌になってきたし、全部ほっぽり出して逃げ出したくもなるんだけど、今更逃げる気力もタイミングもないらしくなんとか抱えて生きるほかなさそうだ。


最近、『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』という説話の本を読んでみたのだけど、今の自分にものすごく刺さった。この本を書いている人は南直哉という恐山の寺の住職代理をしている人らしいけど、極めて論理的な話が多くて納得させられる。タイトルは前向きに生きる事に疲れたら~などと書かれているけど、世間や他人から押し付けられるペルソナに自分自身まで洗脳されるなとかそんな感じっすよ。



この本から自分が参考になったと思う箇所を引用して私見を述べさせてもらおうかな。

困難やつらい状況の中で、漠然と「困ったな」「これはまずいな」と言ってるだけでは、何も解決しません。「なんとなくモヤモヤする」「なんだかスッキリしない」とぼやいてるだけでは、事態はますますこじれていきます。

困った状況の根本には何があるのか見て、「なんなのだろう?」「どうしたんだろう?」と自分を困惑させる「問い」を、アプローチ可能な「問題」に組み立てることができるかどうか。
状況を打開できるか否かはそこにかかっています。

「悩みを解決したくてずっと自問自答してきたのですが、答えが見えなくて」と言う方がいますが、それは当たり前です。頭の中で考えるだけでは、「問題」に仕上がっていません。感情がグルグル回転しているだけです。
だから、一度そのサイクルを止めて、「問題」として言語化する必要があるのです。
逆に言えば、言葉にするということは、感情を止めることに他なりません。

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本 南直哉 p105-106

助言を受けるときに一番大事なのは、解決策を教えてもらうことではありません。自分の問題が明らかになることです。
問題が明らかになれば、相手から答えを提示されるまでもなく、アプローチの方法は自分で見出だせるでしょう。

「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本 南直哉 p108


実際さ、僕も色々と悩み事を抱えてそれを解決するためにカウンセラーなどに相談したりしてるんだけど、今抱えている問題に有効な解決方法ってないと思うのよ。なんとか本気で苦しみながら七転八倒しつつ、そのうちに最適のポジションを見つけるぐらいしか方法が無いと思っているんです。人生の問題に対してちゃんと問題解決の方法があるパターンって全体の1割ぐらいしかないと思ってて、あとの9割は問題は解決できなくともなんとか自分の中でその問題の解釈を変えて自分を納得させることで問題が消えてしまうパターンがほとんどだろう。


僕も人生の中でいろんな苦難に出会ってきたけど、致命的にならないようになりつつなんとか問題を抱え続けることで解決したパターンというのが多い。例えば統合失調症患ったりとかも本当に人生が破滅しかけたんだけど、やけくそにならずになんとか自分をなだめすかししてリハビリをしてたらそのうち社会復帰をすることができた。短期的にはどうにもならない問題であっても、長期的な視点で捉え直すとことで問題をやり過ごせることは多い。


この『「前向きに生きる」ことに疲れたら読む本』は色々と気付かされることが多い本だった。ブログでも何度かネタ元として引用させてもらおうかと思う。

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