超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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何にもない日々を愛するという事。

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何にもない日々を愛するという事。


今日は特にイベントは何もなし。普通に7時間は寝ているのに、昼寝で3時間ぐらい寝ているので、何かしらの体調不良の気配を感じている所。どうなんざんしょ? 台風5号が沖縄本島近辺を通過していったので、低気圧で体調がおかしくなってしまった可能性は高い。ちなみに嫁さんが、前に行ったつけ麺屋のレビューを書いたのでそちらの方もご覧ください。


umeshi.com


気圧の変動とかそういうのも無くとも、休日に家でずっと居ると眠くなってずっと寝ている事は今までもあった。最近は嫁さんと一緒に住み始めてるので、休日は外出することが多いのだけど、最近はコロナ騒ぎの故に自宅から出る事が出来ない日々が続いている。できれば、家でも小説を書いたりとか読書をしたりとかで生産性の高い過ごし方をしたいのだけど、家に居ると眠くなってしまってろくな事をすることができない。この眠気の対策方法としては、さっさとスタバなりに出ていってしまってカフェで読書なり作業なりをしてしまう事だけど、最近はコロナのせいでろくに外出もできない。


このコロ助は一体何なんでしょうね? 沖縄でも一日100人以上の感染者数が出たとか騒ぎになっているけど、一日で感染した人数だけ出されてもこれで状況が酷いのかは分からない。検査した人数とか人数当たりの感染率とかそういう比較できる数値を出さずに、分かりやすい数だけで騒ぐのは古式ゆかしいアジテーションのやり方ですよね。どうも、この第二波は東京での重症者の比率とかを見てると、どうも弱毒化してんじゃねーか?って気もする。


まぁいいんだよ。医療関係でエビデンスも出さずに断言したのが社会に拡散してしまってフルボッコにされるのは、最近だと吉村知事がイソジンがコロナに効くとか言ってイソジンが品薄になるなど、デマを拡散する奴は有名人素人関係なしに枚挙にいとまがない。ワイドショーなんぞは視聴者の不安を煽って購買意欲でも伸ばそうと頑張ってるのか分からんけど、実際に実体経済がまずい状態で、CMどころの騒ぎじゃなくなりそうなので、コロナの事を報道しなくなる日も近いんじゃないかと思ってる。


僕はちゃんとエビデンスとか無くて文責が持てなさそうな事柄については、えらそうに断言するのは避けようと思う。大概、偉そうに根拠もない事を断言しまくってるネット弁士なんぞは無数に居ますし、そんな凡百に埋もれる事をしなくとも、ちゃんと日常で感じたことを素直に書いていれば分かる人は分かってくれるんじゃねーかなと思っております。


さて、適当に思いついた事を書いてたら体が温まってきたので、何か本題的な事を書きたいと思ったのだが、今日は特にネット巡回もしてないし、面白いイベントも無かったので書くべき内容が無いよう。こんな時でも1日2000字という鉄の掟は変わらないので、2000字を書き終わるまではタイピングを続けているのである。


生きてるってなんだろう?みたいな本質的な事を最近考える事がある。僕は最近、生活が充実しているので人生が楽しいんだけど、ネットをふらふらと彷徨ってると、どうも人生を諦めているっぽい人が居たりするよなーとはとみに思う。


人生の目標ってなんだろうね? 生物学的に考えりゃ生物の目的って子孫を残す事だったりするんだけど、それにしたって多様化した現代社会では子をなす事だけが人生の目標ではない。逆に、多様化した故に、いろんな可能性が無数に溢れてしまって何をすべきか分からなくなってる人は多そうだよなーと思う。


ブログを書くにしても、稼いだりPV増やしたりする数字だけを目的にしてブログ運営している奴を僕はバカにしてるんだけどさ。ブログで書いたことって、割と自分の価値観がもろに反映された文章だったりするんですけど、自分の価値観を二束三文で売り払ってそのはした金をPRして周りにマウントしてたりするんですけど、これって要するに自分の価値ってその程度の金額ですよーみたいなPRですよね。自分の価値観が値段を付けられる程度って、随分と自分を安く見積もったもんだと思う。


「一人の人命は地球よりも重い」と言ったのは福田赳夫首相でしたっけか。そういう人命が地球よりも重い理由ってのは、一人の人間がやれることの可能性ってのは下手したら全世界を変えてしまえることを出来る可能性があるって事だったりするんだけど、自分の可能性をこれぐらいと見切りをつけて、死ぬまでずっと暇つぶしだけで酔生夢死に生きて人生を浪費して死んでいくって人間も無数にいるよね。


「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い。」とは中島敦の言葉ですけど、自分の中に何か目標を打ち立てて、毎日毎日を五感をフルに働かせて起きる出来事から受ける感覚をビビッドに味わってると、密度の高い人生を送る事ができる。僕はかくありたいと思うんですけど、一日をきちんと食通が豪華なディナーを味わうように、悲しい事もうれしい事もすべてを感じ取って、それを受け止めて消化することで自分の人生をフルに生きてみたいと思っているのですね。


ニーチェ永劫回帰の世界の中で、全てを見届けたツァラトゥストラにこう言わせた。「これが生か。ならばもう一度!」

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