超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

ぽっかりとあいたエアポケットに入ったような日であるな。

ぽっかりとあいたエアポケットに入ったような日であるな。


さて、今日は何を書いていこうか。週末であるね。


今は全力全開で小説を書いてるところで、明日も明後日も特に予定がなければ、たぶんずっと書いてると思う。ちょっと前に『オンミョウデザイア』の印刷が終わって、手元に何冊かあるので、それを個人系書店に持ち込んでみようかな、とも思っている。


それ以外に予定はなし。ちょっとエアポケットに入ったみたいな、虚脱状態というか。書きたい気持ちは全力なんだけど、ふと「本当にこれでいいのか?」と悩む瞬間がある。


頭の片隅で、他にも自分には可能性があったんじゃないかって考えがちらつく。でもその「何か」って、結局何ができたのかはよくわからない。何かを始めても、「このままだと失敗するんじゃないか」とか、「うまくいかないんじゃないか」って想像が先に立ってしまう。


だから全力で取り組めないこともある。過集中になって突っ走るときも、どこかで同じような不安がつきまとう。そんなふうに、物事を純粋に楽しめないっていうのが自分の中には確実にある。


これって、治るものでもないんだろうな。たぶん、生まれつきの性質とか、性格みたいなものなんだと思う。


でも、同じような悩みを持ってる人は意外と多い気もするよね。何か一つのことに心から熱中できる人は、きっと幸せな人なんだと思う。


僕はというと、どこかでバランスを取ってしまう。熱中していても、別のことが気になってしまう。これはメリットでもあり、デメリットでもある。集中することで成果は出せるかもしれない。でも他のことがおざなりになって、結果バランスを崩して失敗することもある。


それを恐れるから、自然とリソースを分散して失敗しないように動いてしまうんだろう。けど、そうやって人生全体を楽しめるかというと、それも微妙。


やっぱり、「熱心力」みたいなものがある人の方が、きっと人生は楽しい。どこか冷めていて、みんなが楽しんでる中で一人だけ別の場所に心がさまよってるような、そんな自分は面白くない人間だなと思ったりもする。


でも、そういう自分が嫌いではなくなってきたのは、最近になってからかもしれない。


世間を斜に構え、自分にも絶望してきたようなタイプだけど、そんな自分を捨てられないって気づいたのも、最近のこと。結局、僕らは与えられたカードで勝負するしかなくて、そのゲームのルールに文句をつけても誰も聞いちゃくれない。


ルール自体を変えられる人はほんの一握りで、大半の人は配られたカードで戦うしかない。だったらその中で最善を尽くすしかないんだろうなって、そう思う。


僕には自己憐憫があまりない。人生を振り返ると、とんでもない不幸が連続してた時期もある。でも今は、それも「そういう時期もあったな」って少し冷めた目で見られるようになってきた。


ネガティブだったあの頃も、もしかしたらいい思い出だったのかもしれない。感情が少しずつ冷めてきたのは、悪いことじゃないと思いたい。


そして、今の自分を「よくやってるじゃん」って思える。僕の人生をそのまま体験して、心折れずにいられる人って、そう多くないと思う。これは自信過剰かもしれない。でも、案外そうでもないかもしれない。


そんなふうに思えるようになった自分がいて、毎日仕事して、小説書いて、筋トレして。そんな日々も悪くない人生なんじゃないかなって、最近は思えるようになった。


ウィクトール・フランクルの『それでも人生にイエスと言う』なんて引用できたらもっとかっこよく締められるんだけど、今日はそこまで余裕がないので、このへんで終わろうと思う。

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