超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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コロナウイルスでパニックに陥ってる社会情勢を見て考えたこと。

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今日は安倍首相のコロナに関する緊急記者会見があった。



#安倍やめろ というハッシュタグtwitterで一位を取っているようだが、僕自身の考え方としては、今こんなときに安倍首相に辞められると政治が大混乱してしまってコロナウイルス禍どころじゃなくなるので、今はきちんと責任を持って日本の陣頭指揮してもらわないと非常に困る、と思ってる。


安倍首相がこれから先、政権を維持していくかどうかは別問題として、これから先の日本社会がどんな風に動いていくかで人が死んだり多くの人が苦しんだりするかの重大な局面に入っている。今回の記者会見で社会全体が一致団結して災害に立ち向かっていくと何度も述べられている。実際にそうなのだ。


モリカケの問題から最近の桜などの国民の知る権利を無視した隠蔽体質、消費税の増税にせよ、現政権には僕も愛想は尽きてるんだけど、現在、コロナの問題のように本当に全世界がパンデミックで大混乱に陥る寸前の状態なので、誰かがリーダーシップを取って国の舵取りをしてもらわないといけない。安倍首相の責任を問うのであればこの混乱の対応がどの様になされたか?など結果を見てみないとフェアじゃない。


twitterで実際に世論が見えるようになっていて、このアカウントの政治的な立ち位置やどんな風に社会を考えているかなど実際にちゃんと見えるようになってきた。なんか、twitterの論客の中にはヒステリックに人を叩くのが好きそうな人もいくらか居るなと現在の状況を見ながら考えている。今、実際に社会がパニックに陥っている状況下で、どの様な情報の発信源を選ぶのか冷静に取捨選択していくようにしないと命に関わる。


僕は今、このコロナウイルスで混乱した様な社会状態を見てて、非常に精神が消耗した状態でして・・・。twitterなんぞを眺めているとデマも大量に流れている状況が観測されるので、twiterは必要最低限しかリツイートなどをしないように気をつけている。台湾ではデマを流した人が逮捕されているなどそういう事も起きているらしい。日本のトイレットペーパーが品薄になるなどのデマが流れるとか、マスクの転売屋が居たりするなど抜本的な取り組みが必要な段階まで来ているのかもしれない。


twitterに関しては、あまりにも感情的な情報を流したりしているユーザーはどんどんリムーブミュートしている。今、この精神状態でエモーショナルな情報を流されると神経に響いて非常に辛いのだ。上述したことだけど、この混乱した時期だからこそちゃんとしたエビデンスに基づいた客観的な情報を発信できる人が重要になってくる。



ここしばらく、街を歩いていても人が異常に少ないし、建物の中ではみんなマスクをしているし、リアルの方でもみんな神経質になっているのが分かる。


神経が非常に毛羽立った状況であり、今日は一日家で鬱々としながらずっと寝ている状態だった。金曜日に筋トレに行けなかったので今日行こうかとも思ったのだけど、最近、どこかのジムで大量に感染者に接触してしまうという事例があったのであんまり人が大勢いる所には近寄りたくないなと考えている。


マスクはあるので外出するときは付けているのだけど、あんまりストックがない。このストックが切れる前に市場にマスクが出回れば良いのだけど、いつぐらいになるか状況が読めないな。


というか、うちも普通にトイレットペーパーがそろそろ切れそうでして、トイレットペーパーのデマは、明日あたりドラッグストアーで本当に売られているか確認にいかないと行けない。


僕自身、かなり消耗した状態でブログを書いたりだとかtwitterに常駐するのが辛かったりだとかするのだけど、冷静になって状況をみて正確な情報を発信できるように気をつけなければならないだろう。こういう時だからこそ、僕らのような個人メディアの人間であれど読んだ人を勇気づける様な記事を書かないといけない。


最近、コロナウイルスの情報を拡散してブロガーは稼ぐチャンスだと言ってはばからないインフルエンサーも居たけど、こういう倫理なき世界だからこそ各々は信用できる情報源を選ぶ必要がある。


fujipon.hatenadiary.com

 著者は、序章で、こう述べています。

 そう、気づいたときは既に手遅れだった。それも、決定的に。
 いまこの国のインターネットは、ワイドショー/Twitterのタイムラインの潮目で善悪を判断する無党派層(愚民)と、20世紀的なイデオロギーに回帰し、ときにヘイトスピーチフェイクニュースを拡散することで精神安定を図る左右の党派層(カルト)に二分されている。
 まず前者はインターネットを、まるでワイドショーのコメンテーターのように週に一度、目立ちすぎた人間や失敗した人間をあげつらい、集団で石を投げつけることで自分たちはまともな、マジョリティの側であると安心するための道具に使っている。
 対して後者は答えの見えない世界の複雑性から目を背け、世界を善悪で二分することで単純化し、不安から逃れようとしている。彼ら彼女らはときにヘイトスピーチフェイクニュースを拡散することを正義と信じて疑わず、そのことでその安定した世界観を強化している。
 そして今日のTwitterを中心に活動するインターネット言論人たちがこれらの卑しい読者たちを牽引している。
 彼らは週に一度週刊誌やテレビワイドショーが生贄を定めるたびに、どれだけその生贄に対し器用に石を投げつけることができるかを競う大喜利的なゲームに参加する。そしてタイムラインの潮目を読んで、もっとも歓心を買った人間が高い点数を獲得する。これはかつて「動員の革命」を唱えた彼らがもっとも敵視していたテレビワイドショー文化の劣化コピー以外の何ものでもない。口ではテレビのメジャー文化を旧態依然としたマスメディアによる全体主義と罵りながらも、その実インターネットをテレビワイドショーのようにしか使えない彼らに、僕は軽蔑以上のものを感じない。


 建設的な議論の場になり、世界を変えることが期待されていたインターネットは、「いかにうまく失敗した人の悪口を言うかの大喜利会場」か、「極端な考えに染まった人たちが、自分たちの正義を確認しあう道具」になってしまっているのです。


この本も読まないといけないですね。


遅いインターネット(NewsPicks Book)

遅いインターネット(NewsPicks Book)

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