超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

文化的なものは心を癒す働きがあるようだ。

文化的なものは心を癒す働きがあるようだ。


昨日、クラシックの演奏会に行った。どうもあれが効いたのか、体調が少し戻ってきた感じがしている。やっぱり、たまには文化的なものに触れるって、自分には必要なことなんだなって改めて思った。


というのも、精神的にしんどいときに、音楽や歴史や哲学のような「大きなもの」に触れると、不思議と気持ちが落ち着くんだよね。自分の悩み——仕事がうまくいかないとか、人間関係が面倒だとか——そういうちっぽけな問題が、広大な時間の流れの中では取るに足らないものに思えてくる。これは、ある意味で救いなんじゃないかと思う。


沖縄にも美術館はいくつかあるけれど、なかなか目新しい展示が来るわけでもなく、クラシックの演奏会も少ない。だから、そういった体験を求めると、自然と県外に出たくなるんだけど、正直お金の余裕はない。そんなとき、最近はネットが救いになっている。Googleのギャラリーとかで、ゴッホの絵を解説付きで見ることができるし、バーチャル美術館を巡るなんてこともできるようになった。そういうのでも十分気持ちが整うことがある。


自分の趣味はほんとに雑多で、クラシックや美術館が好きな一方で、アニメや漫画も好きだし、自分でもキャラ絵を描いたり、小説を書いたりもする。どっちが「本当の自分」かって聞かれたら、わからない。たぶんどっちも自分なんだろう。ジャンルにかかわらず、何かを表現することが好きなんだと思う。


歴史や哲学、美術作品など、人類が積み重ねてきた文化に触れると、自分の考えがいかに小さいかを突きつけられる。だけど、それが嫌なわけじゃない。その「小ささ」を自覚することこそ、自分にとっては大事なことだと思っている。今の世の中、反知性主義的な風潮が強まっているけど、人間ってそんなに単純じゃないし、欲望や勝ち負けだけで語れるほど浅くはない。人類はこれまでに、言葉にならないような深いものを、音楽や文学の形で残してきた。それを知っているからこそ、そういう軽薄なノリにはどこかで冷めた目を向けてしまう。


SNSが苦手なのもそのせいだと思う。人間の怒りや浅い欲望だけを煽り、それがすべてだと言わんばかりの投稿を見ると、心が削られるような気分になる。そこにあるのは精神の消耗で、表面ばかりをなぞっていると、自分の深いところがすり減っていく感じがする。


もちろん、自分だって人間の作ったものの全てを理解しているわけじゃない。でも、そういう「深さ」が確かに存在することは知っているし、それをもっと知りたいという気持ちがある。だからこそ、歴史や哲学、音楽や文学をこれからも勉強していきたいと思っている。子供の頃からそういう興味はあったし、いまだにそれがなくなっていないというのは、ある意味自分の根っこなのかもしれない。


それでも、やっぱり人間自体は好きになれない。人間が作った音楽や哲学や文学は好きだけど、人間という存在そのものは自分も含めて嫌いだ。こんな矛盾を抱えながら、40になってもまだ「生き方」を模索している。もうここまで来たら、どうしようもないのかもしれない。


けれど、そんな自分でも、コーヒーを飲みながらクラシックを聴いたり、図書館で静かに本を読んだりする時間には救われる。金がかからない文化的な営みが、今の自分にとっての拠り所になっている。部屋を掃除して、少しだけ整った空間で過ごす時間は、心にも少しだけ余裕を与えてくれる。


別に気取るつもりはないし、高尚ぶるつもりもない。ただ、自分の中にある「何かを知りたい」という欲求に、素直に向き合いたい。それだけなんだ。もっと変わったもの、もっと深いもの、高いレベルのものに触れる時間を、これからも大切にしていきたいと思っている。


文化的な営みは、時に人を癒す。だからまた、時々、そういうものに身を委ねてみたい。

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