超メモ帳(Web式)@復活

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小説を書くために必要な深い読書について考えた。

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小説を書くために必要な深い読書について考えた。


上記のアイキャッチ画像は嫁氏が撮影した古宇利大橋の写真である。今日は嫁さんと母親と一緒に、沖縄北部をちょっとドライブしてきた。古宇利島辺りをふらふらとしてきたのだけど、あの辺りは天気が良ければ本当に海が綺麗なんだろうなと思う。


最近は、小説を書くためにいろんな小説を読むべきではないか?と思って、20時からの小説の勉強の時間には、村上春樹の「一人称単数形」を読んでいる。いろんな人が言う事だけど、小説を書こうと思うならば良質の物語を浴びるように読まなければならない。



僕は僕の気に入った物語を書きたいだけなんだけど、小説執筆というのは集中的にそれだけやろうとしても視野が狭くなって書けなくなってくる。物語を綴るために自分をドライブさせる必要があるんだけど、そのためにもこんなもの書きたいなと思うような小説を大量に読み込む必要があるだろうね。


そもそも僕は、アウトプットとインプットの比率で、アウトプットの量が他の人に比べると比較的多めな気がするので、それを補うように良質なインプットを増やさないといけないなと思った。ブログを書くにしてもいろんな知識を吸収しておかないと独りよがりなつまらない文章になるだろうし、日常的に文章を書くのならば日常的に本も読まないといけない。


ブログを書くためならば別にそこらへんのtwitterやらニュースサイトから情報収集していればいいので、そういった情報収集のプロセスは既に生活の中に組み込まれている。一日の内、30分ぐらいはRSSリーダーを読み込んだりして情報を取得してはてブ経由でtwitterに放流していたりする。しかしながら、小説を書くためには物語を読まなければならない。これをどうするのかが悩ましい所だ。


カクヨムなどで色々と読むべき小説を探してみたりすることもあるんだけど、なんか、素人の小説というのはランキング上位であっても物語性というのが微妙だったりしてあんまり読んでいても勉強にならない。いや、これは僕の探索技術が微妙なんだと思うんだけど、なろうとかカクヨムの上位作品というのは単にこの頃の時流の流行りに上手く乗れてる作品というだけで、物語として面白い作品かどうかというのとは別のベクトルで選ばれてるんだなーというのは感じる。


やっぱり、Amazonなどで売られているプロ作家の本から良さげな本を読んだ方が良いんだろうなと思う。これで何を読むかもまた悩むところであろう。楽しむために読む本だと、僕は村上春樹浅田次郎誉田哲也など。女性作家だと高村薫桐野夏生が好きですね。


嫁さんが書いていた事だけど、書くために小説を読む読書では遅読がよいであろう。


www.akemi-12mg.net


嫁さんも小説書くし、いろんな小説を読むのが好きだったりするんだけど、読む速度自体は僕の方が比較的早い。でも、物語を深く掘り下げて作者が贈りたいものを受け取るのは嫁さんの方が多く受け取ってると思うのだ。大体、僕が日常的に読んでるのは自己啓発本とか新書とかだったりしますからね。嫁さんほど小説から物語を深く読んでいない。


物語を読み込むために小説を読むならば、速読なんてもってのほかである。小説の読み方って、作者が考えている読む速度をしっかりとなぞるようにして読んでいかないと本当に作者が見せたかった世界を追体験出来なかったりすると思うんですよ。軽い読み飛ばすための読み物もあれば、一生を掛けて何度も繰り返し読まなければ作者が言いたかった本当の事が分からない物語もあるはずです。フランシス・ベーコンは読書については次のように言ってるし、嫁さんのいう遅読の方が正しいのかもしれません。

読書は、論争のためではなく、そのまま信じ込むためでもなく、講演の話題探しでもない。それは、熟考のためのものなのだ。


村上春樹もこんな事をどっかのエッセイで書いていたらしい。



世の中ではハルキストなどと呼ばれて小馬鹿にされたりするんだけど、自分の人生の生き方って、わりかし村上春樹から色々と学んでいる事が多かったりするんですよ。僕は村上春樹のエッセイを読んで、実際に小説を書くためにランニング習慣を始めた。自分の小説家としての生き方のモデルケースとしては村上春樹を参考にした方がいいのかもしれません。


読書猿さんの所で次のような記事があった。


readingmonkey.blog.fc2.com

 夢を詳細に描くことが目標の我々は、より直接的なアプローチをとることもできる。
 同じでなくても、似たような夢を、実現した先人を探し出すことだ。
 むしろ異なる分野で、ことなる時代の異なる状況で、異なる夢を実現した先人から学ぶことの方が多いかもしれない。

 夢や目標に直接関係する情報収集と平行して、そうした先人の生涯や行動や言葉から学ぶことは、有益だ。
 なにより偉人は探しやすい。

 最もその存在を確認するのは確かに簡単だが、その肩によじのぼるのは必ずしも容易くないかもしれない。

 先人の肩に「よじのぼる」、最もディープなアプローチは、彼が残したすべてを集めて味わうことだ。

 いくらか現実的にするなら、全集を読破し、伝記・評伝の類いも読み尽くすこと。

 思った以上の時間と胆力が必要な作業だが、これは知的トレーニングの中では最上の部類に入る。結局のところ、シャロー・リーディング(浅い読書)でしかない、ほとんどすべての読書術の対極に位置するものだ。


僕が単なるハルキストの域を抜けて、本当に小説家の生き方を真似ようと思うなら読書猿さんの言ってるこの方法を真似るべきなのかもしれないですね。

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