
「ナナシノユウレイ」に関しては電撃大賞に応募してみようと思う。
昨日の記事なんかを書いた後に、今後のスケジュールなどを考えていたのだけど、ちょっと「ナナシノユウレイ」のリライトについては、公募の電撃大賞の短編部門に応募してしまおうと思う。
自分で見ても作品の出来がかなり素晴らしいものになってるし、分量も22000字程度でちょうど良い。期日が4月30日であるし、今からもうちょっと文章をブラッシュアップしたり桔梗を書いたりして応募したら十分に間に合う。
僕は、これが電撃大賞を取って作家デビュー的なことは、宝くじ当たればいいなーの希望的観測ぐらいでしか思ってない。でも、せっかくオリジナルで公募に応募できるチャンスがあるんだから、この機会を逃すのもちょっと勿体無いだろう。電撃大賞の概要なんかも確認してみたけど、商業発表しておらず自分のHPで投稿してる作品であれば応募はできるというので、おそらくナナシノユウレイは問題なく応募できるんじゃないかなと思う。
別に賞を取れる必要はないんだよね。電撃大賞は第2次選考以降の作品には全ての作品に編集者のアドバイスが返ってくるようであるし、作品は全て編集者が読んでるらしい。これでいいところまで行って、出版社とのコネクションができたなら最高なのだが、自分の書いた作品の今現在の商業市場での立ち位置というのが確認できるだけでもありがたい。
ひとまず、「ナナシノユウレイ」に関しては、電撃大賞の受賞作発表の12月以降のkindle出版になるかと思う。電撃大賞の審査期間中は作品は商業出版不可であるので、賞の結果が出た後にkindle unlimitedも含めたAmazon専売でのkindle出版をしたら良い。そのときは今書いてる後日談の短編も含めて、kindle本にして出版してしまおうと思う。
ちょっと客観的に見てナナシノユウレイの評価はどうなのかなー? というのは知りたいので、ニュースレターのシステムを使って毎週一章ずつ送る個人企画なんかもやろうかなと考えている。Substackに関してはブラウザから見れる投稿についてはすぐにアーカイブを削除してしまえば問題ないし、Googleフォームなんかで簡単なアンケートを作れば気軽に感想も送りやすいだろう。
まぁ、僕のやりたかったこととしては公募への出展というのもあったしね。ちょっと副業としての本の出版はスケジュールが遅れてしまうけど、その間に「イヌガミギフテッド」も作品をリライトして完成度を高めたりとか、それと「オンミョウデザイア」の続編の「クダンインターセクション」についても、図書館で調べ物をしたりしてプロットを練り上げる作業なども並行して進めたらいい。
さて、面白くなってきた。ちょっとチャッピー君と壁打ちしていたら、そういえばナナシノユウレイについてはオリジナル作品であるし、公募に出せるなーとアイディアが思いついたんだけど、ネットを調べてみるとドンピシャりで電撃大賞の短編部門に応募できることが分かった。
別に専業作家はやるつもりはないんだけどね。実のところ僕の父親も著述業をしてたのだけど、ほとんど稼ぎがなくて自費出版を自分で頭を下げながら本屋に売り捌くようなフリーランスをしてた。
まぁ、父親は商才についてはあったっぽいけどね。放送局と色々コネクションを作ったりとかして、企画を持ち込んで芸能人にインタビューをして本を作ったりなどして、自分で出版もして売り捌いていた。ローカル文学賞なんぞも取ってたようであるけど、書いてる小説については子供の頃に読んだけど全然面白いとは思わんかったけどなー。
なんか、自分も父親と似たようなことをやろうとしてるな。どうも、うちはこの手の文系の家系らしくて、親族にも編集者とか新聞記者とかいたっぽい。死んだじいちゃんも三島由紀夫とかその辺りが本棚にあったし、その手のハビトゥスはあるんだろうなと思う。
僕ははっきり言って、物書き趣味については趣味の範囲内で十分なのである。僕自身がそうであるけど、ワナビ系の自意識拗らせを目の当たりにすると、僕は同族嫌悪で戸締りしたくなる。や、はっきり言って、文学で身持ち崩した作家とかワナビの話は大量に聞いているので、「ああはなるまい」と身構えてしまう。
僕が作家のモデルケースとして参考にして尊敬してるのは村上春樹である。作品についても好きだけど、その生活様式について素晴らしいなと思ってるのだ。
ちゃんと規則正しく健康的に生活して、体を鍛えるためにランニングをする。その中で生活のリズムをきちんと保って、決まった時間にちょっとずつ長編小説を書いたりする。生活の一部として小説を書く習慣を作ってるのが素晴らしいなと思うのだ。
僕自身、趣味として仕事の合間に色々と自分なりの物語を書いたりして、それをkindle出版で発行したりとかZINEを書いて知り合える人を増やす程度で構わん。そういう物書き趣味を色々と楽しんだりして、人生を面白おかしく生きることができたのなら、僕は満足である。