
創作するときにマーケットに寄せるのか? 書きたいものを書くのか?
おはようございます。朝から大雨。さっぱり意味不明な天気だけど、それが今の夏の特徴なのかもしれない。暑い日が続いたかと思えば、突然の大雨。どうも今年の夏は読めない。台風でも近いのかと勘ぐりながら、特に確認もせず、いつも通りの朝。
さて、今日もブログを書くわけだけど、最近どうにもマンネリ気味で困っている。特に創作関係の話ばかりになっていて、それが果たして読まれて面白いのか、自分でもよくわからなくなってきた。内向きすぎるというか、自分の中だけで響くような言葉を並べている気がして、外から見てどう映っているのか、気にはなるけど、実のところ、あまり関心がない。
書くのが当たり前になってしまっているせいかもしれない。毎日更新も然り、もう書くことが習慣になっていて、それがどう読まれるかについての興味がどんどん薄れてきている。エゴとお役立ちのバランスを7対3で意識しているとはいえ、最近はどうもエゴ寄りが強すぎる気がする。
昨日は、最近ラノベの賞に出しても落ち続けていることもあって、「今の流行」をもっとちゃんと研究するべきじゃないかと思い、なろうやカクヨムを色々読んでみた。で、思った。「いっそのこと、異世界転生でも書いてみたらいいんじゃないか」と。実際にアイデアも一つ思いついた。でも、そこで立ち止まる。
自分が本当に楽しんで書けるのか。それが一番の問題だった。確かに今は異世界転生モノならある程度読まれる土壌がある。内容が極端にずれていなければ、アクセスは見込める。でも、それを書いて自分が納得できるのか、そこが見えなかった。
創作には大きく分けて二つのタイプがあると思う。市場に合わせて戦略的に書く人と、自分の納得を最優先にする人。どちらも極端だが、それぞれに悲劇はある。前者は市場に合わなくなった瞬間、創作を辞めてしまうし、後者は評価されずに折れてしまう。
僕は明らかに後者のタイプだ。自分の思いつきと納得が創作の原動力で、マーケットにはあまり寄せない。だから、読まれなくても仕方がないと思っているし、それで感想が一つ二つでも来たら御の字。大バズなんて期待していない。むしろ、自分のエゴが他人に評価されることを当然と思う方が傲慢だろう。
ただ、それでも「流行」や「評価」に無関心でいられるかといえば、そうでもない。どこかで気にはしている。でも、迎合して創作が歪むなら、それは違うとも思う。自分の創作における優先順位を、改めて問い直す必要があるのかもしれない。
プロになりたい、有名になりたいと思うなら、市場に合わせた作品が書けるのは当たり前の話だ。でも僕は、そうじゃない。「書きたいものを書く」。それが自分にとっての創作の根本なんだろう。
だからこそ、異世界転生を書くとしても、自分の納得を置き去りにはできない。そのジャンルが合うかどうか、実際にやってみないとわからないけれど、少なくとも、承認欲求に引きずられて方向性を見失うのは避けたいと思っている。
結局のところ、自分の納得するものしか書けない。そういう人間なんだろうな。だから、他人の反応にビクビクするよりも、自分が書きたいものを書いていくのが、僕には一番しっくりくるのだ。