超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

「大人になる」とはこういうことだと思う。

「大人になる」とはこういうことだと思う。


むー、調子がよろしくない。主観部分まではネガティブな思考に引っ張られてない感じだけど、気を抜くと思考でネガティブな発想が出てくる状態。


体が疲れてるのかもしれないな。仕事始めで週末金曜日である。今週の休みはちょっとサウナにでも行ってこよう。明日は朝は耳鼻科だけど、あとはニュースレターを書く以外の予定はないので、外出して適当に何かいいものを食べつつサウナにでもこもってこようと思う。


さて、気を抜くとまたメンタル系の話題をしてしまいそうになるが、二日連続でメンタルケア系の話題というのも芸がない。ちょっと今日ははてなブログのお題でも利用するとしよう。


今週のお題「大人だから」


成人の日だから「大人だから」というお題とのことだ。大人だからどうした? という感じであるが、そんなことを言ってたら話にならないので適当に思いつきを綴る。


成人の日ねー。僕は当然の如くぶっちぎったな。いや、あれはリア充向けイベントでしょ。なんでまた暗黒時代のような青春を送った僕がそんな晴れがましいイベントに参加すると思った?


沖縄の成人式といえば、国際通りを暴走する新成人のヤンキーたちというのが定番である。最近はまぁまぁ落ち着いてきたが、今でも多分成人の日に国際通りあたりをうろうろしてると、令和の時代に剃り込みを入れてるような可愛い連中が改造したオープンカーなどでパレードをしてるはずである。


あれに関していうのなら、新成人たちが自主的にやってるというよりは、暴走族の先輩たちに後輩の新成人がやらされてるというパターンなんだよね。いまだにそんな上下関係のある暴走族があるのかどうかは知らないが、グレてる連中の上下関係というのは激しいもんなので、上の言うことは絶対なのである。あれに参加すると警察に逮捕されて色々と酷い目に遭うはずなので、普通ならやらないだろう。


沖縄の主な産業というと観光産業だけど、それの次ぐらいに土木業だからね。建築土木で働いてる若者たちの中には暴走族と繋がりがある子たちというのが割と多かったりするので、実際一人一人は真面目なんだけど、集団になると暴れるというパターンが多い。


この辺りの沖縄のヤンキーを扱ってる書籍が「ヤンキーと地元」という、社会学の参与観察で実際に沖縄のヤンキーたちと一緒に原付で暴走したりして調査をしたというすごい本がある。



実のところ、この本を書いた打越正行先生と僕は友達の友達ぐらいの関係である。打越先生は最近、急性白血病により45歳という若さで亡くなってしまった。まだまだこれから色々と未来を嘱望されるような人だったのに残念である。ご冥福をお祈りします。


沖縄のヤンキーというのは、沖縄の地域ではすごく地位が高い。といういうか、土地柄自体が基本的にマイルドヤンキー文化であり、ホワイトカラーよりもブルーカラーの仕事の方が人気が高いというお土地柄なのである。ローカルTVやラジオで流れてる地元の番組もマイヤンたちがウェイウェイやってるのが人気であり、悪い奴らは大体友達的なよく分からん連中の方が地位が上というのが沖縄という土地なのだ。


そんな土地で中学生ぐらいの時からオタク文化にしたしみ、大学生の頃はインターネットにはまり込みジトジトとインドアな趣味をやってた僕の沖縄での地位というのは、推して知るべしである。


今でこそまぁ、インターネットを通じていろんな人たちと知り合うことができたから、こんな風に色々と明るい感じで喋るようになった。それこそろくな娯楽もなく、知り合えるのが地元の連中しかいないという学生時代の頃なんてものは、まさしく暗黒時代である。


基本的に沖縄は陽キャが多い。「どんな奴でも一緒に酒を飲めば友達!」的なラテン系の南国ノリのキャラクターが一般的である。そんな中で、子供の頃から図書館にこもって一人でじっと本を読むのが好きという、僕のような内向的なタイプというのは非常に浮く。


こういうタイプなもんだから若い頃には世間へのルサンチマンを溜め込み、そこに図書館に篭り衒学的な哲学書なんかで理論武装をしてるもんだから、「みんな死ねばいいのに・・・」的なことを呟きながら一人で鬱々とした青年であった。その頃に書いた日記なども残っているのだが、非常に拗らせており、陰険。


僕と同様に大学生ぐらいで僕と同様に非常に拗らせてる青年諸君が読んでるのなら言っておきたいのだが、そうやって見えてる世界というのは歪んだ偏光グラス越しの世界であるので、早いところ自分が楽になれる場所を見つけて世間から逃走することをお勧めする。


大人になるというのは自分の責任において自由に生きられるようになるということだ。無論、それにはそれなりの責任も生じるけど、自分が本当にやりたいことをやれるようになる。自分のやるべきことというのは、親や友人などが同調圧力で「〇〇をしないといけない」というようなフレーミングをするかもしれないが、それは無視して自分のやりたいことを見つけると良いだろう。


マジでさ、自分の人生の責任って自分でしか取れない訳よ。そこら辺のSNSインフルエンサーだとか自己啓発本が偉そうに賢い人生の生き方なんてものも押し付けてくるけど、そういうのも相手しなくていい。大人になるということは「自分が人生を賭けても本当にやりたいことを見つけること」だ。この視点で考えるなら死ぬまで大人になれてないやつも沢山居る。僕はそういう視点は最近ようやく気づいたよ。

プライバシーポリシー免責事項