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「本はどう読むか」(清水幾太郎著)を読んだ。

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「本はどう読むか」(清水幾太郎著)を読んだ。


今日は本を読了したので、その読書メモをまとめておこう。今日読んだのは「本はどう読むか」(清水幾太郎著)だ。


本はどう読むか (講談社現代新書)

本はどう読むか (講談社現代新書)


清水幾太郎氏は昭和初期頃の社会学者である。wikipediaのリンクを張っておこう。


ja.wikipedia.org


この「本はどう読むか」では、清水幾太郎が幼少期からどのように本に向き合ってきて、学究生活に入った後でもどのように知的生活を送るために本の選び方からメモの取り方に至るまでをまとめてある本である。


古い本ではあるが、本質はさびれていない。無論、この本が書かれた頃はTVなどのメディアがまだ新しい時期だったのだが、現代のようにインターネットのような双方向的メディアが生まれるなどまだ考えられてなかったので状況は変わっているが、それは読者各自が自分の環境に合わせていろいろとアプローチを変えればいいだろう。


それでは読んだ中で引用した部分を引っ張り出しながら寸評などを加えて参ろう。

  • 教養書・実用書・娯楽書について


清水氏は本を教養書・実用書・娯楽書に分類する。実用書とは仕事のために読むような実用のための本。例えば地図とか辞書の様な物も実用書に分類されるだろう。娯楽書は娯楽のために読む本。漫画や雑誌、現代ならインターネットも分類されるかもしれない。教養書とは自分を高めるために読むような本である。だが、清水氏が指すところによると自己啓発本のような物ではないらしい。自分の内面を深く見つめさせて、自分を育ててくれる様な本を指すらしい。

読書という行為は 、著者が進んで行く道に従って読者が歩いて行くことである 。その道が曲りくねっていたり 、極端に細くなったりすると 、とかく 、見失い勝ちなもので 、見失ったら最後である 。読者はいつも緊張していなければならぬ 。しかし 、この緊張は 、どんなに大きくても 、結局 、受動的なもの 、パッシヴなものであると思う 。著者の書いた言葉を読み 、それが伝えてくれる観念を理解するという行為であって 、その結果 、いろいろな観念が読者の心のうちに蓄積されて行く 。読者が著者自身でない以上 、普通 、それは無秩序に蓄積されて行く 。


ショーペンハウエルの読書論などを引用しつつ、読書というのは能動的なのか受動的なのかについて論じている。結局のところ、読書をしただけではただの知識の劣化コピーであり、それを自分なりに再構築することの重要性を語っている。本は読むだけではだめなのだ。読後に、自分の立ち位置などを考えて、批判的に読んだ本を分析しないといけない。

本を読んで学んだことを 、下手でもよい 、自分の文章で表現した時 、心の底に理解が生れる 。深い理解である 。深い理解は 、本から学んだものを吐き出すことではなく 、それに 、読書以前の 、読書以外の自分の経験 、その書物に対する自分の反応 … …そういう主体的なものが溶け込むところに生れる 。それが溶け込むことによって 、その本は 、二度と消えないように 、自分の心に刻み込まれる 。自分というものの一部分になる 。受容ではなく 、表現が 、真実の理解への道である 。


読書メモについて、清水氏はノートをとったり情報カードに記したりなどしてきたが、最後は本を読了後に700文字程度の感想文にまとめる方法にたどり着いた。客観的視点と主観的視点をどう織り交ぜてメモをとると考えた時に、ちゃんと客観的視点の情報の記録法を覚えた後に、自分の感想で感想文をまとめる事にたどり着いている。


まぁ、私見だが、僕がこのブログで書いている読書メモもその意味でとっている。本を読んだ後に「本を読んだ、気持ちよかったー」だけで終わらせると自分の中に何も残らないのである。自分というフィルターを通して、短文であれどアウトプットをしておかないと、得た知識は簡単に霧消する。本を読んだ後は500字程度の感想文をamazonのレビューなどに残したりするのは、読書を通じて自分を鍛えるトレーニングになる。僕はkindleなどで読んだ本は必ずAmazonにレビューを残している。その後、ブログにも感想を書いて、自分の血肉になるようにアウトプットを心がけている。

直ぐ読むというつもりはないが 、そのうち読みたくなりそうな本 、そういう本があるものである 。そんな本が出版されたら 、文句を言わずに買っておくことだ 。買っておくと 、不思議なもので 、やがて読むようになるものである 。気にかかる本が新しく身辺に置かれるのは 、環境に新しい要素が現れることである 。私たちの心に新しい刺戟が加えられるということである 。明日や明後日ではないにしろ 、そのうち 、この新しい本は 、きっと 、私たちに誘いかけて来る 。そういうものである 。


本を買うことというのは自己投資なのである。経験上、絶対に負けない投資は勉強に対する自己投資ぐらいである。読みたい本に金をケチってはいけない。いつか自分の必要になりそうな本だと思ったら、すぐさまアマゾンでポチっておいた方が良い。まぁ、僕の場合、気軽にポチりすぎて常に20冊ぐらいは積ん読がある状態だが・・・。本を見て買いたいと思っているときが、その学問を学びたいと思っているモチベーションが一番高い状態である。読書に使う金銭をケチってはいけない。どのみち、本を読んで得た知識はその後、数倍から数十倍の価値になって戻ってくるのだ。

読み始めてから 、なかなか面白くならないような本は 、最後まで面白くならないようである 。無理に我慢する必要はない 。面白くない 、と思ったら 、キッパリやめた方がよい 。


時間は1日24時間で、金と違って無駄遣いすると取り戻すことができない。本を読んでいて、その本を読み進めるか否かを判断する材料は面白いかどうかである。せっかく買った本だからと金銭をケチって時間を無駄にしてはいけない。大体、本を買うときは、本屋などで気になった一章を試し読みして面白いかどうかで判断したら良い。古典的な名著だからとかベストセラーだからとかそういう理由で貴方に合った本であるかはわからない。実際に自分で試し読みをしてみて、本当に自分が面白いと思った本以外は読む必要が無いのだ。



上記はこの本とは関係ないけど、僕が読書でもっている考え方。人生において、何度も読み返すような座右の書10冊も持ってたら、巨大な書庫とかたくさんの蔵書は必要ないと思っている。だが、その10冊を選ぶためには100冊だろうが1000冊だろうが大量の読書をしないといけない。しかし、人生において生きやすさを決めるのは知識の量じゃないと思ってる。人生に深さを与えるためには本質的な知識を確実に身につける事だと思う。


この清水氏の「本はどう読むか」では本を本質的に人生でどう生かすかについて書かれている。本の読み方を考え直したい人にはお勧めである。


本はどう読むか (講談社現代新書)

本はどう読むか (講談社現代新書)

今日の徒然


今日は10時頃起き出して、母親を連れて南部一周のドライブをしてきた。まぁ、うちの母親は半身麻痺しとりましてね、一日中家でぼんやりさせているとボケかねないという恐れから、休日は外に連れ出していろんな物を見せてあげてるんですよ。


そこで、外出して吉野家で牛丼を食ってきた。



ネギ玉牛丼と沖縄そばを頼んだ。沖縄の吉野家沖縄そばとかタコライスがあるんですよ。タコライスは結構評判が良いですね。昔、前職で管理職やってたときに内地から社長と会長が来るから沖縄観光のガイドしろって言われたことがあって、そこでタコライスの本場の金武町に本場のタコライスをいただいてもらったんですよ。そしたら不興を買いましてね、帰りに吉野家に入って食べたタコライスの方がおいしいって言われたんですよ。


多分、吉野家タコライスは内地の観光客向けに味が調節されているってところがあるんだと思います。本場のタコライスは元々米兵向けに作られているんで相当に大味でこってりとした味付けがされています。金武町にはほかにもハンバーガーが売られてたりするんですけど、めちゃくちゃでっかくて大味なハンバーガーが出てきます。米兵ってのは肉体労働の上に食べ盛りの若者ばっかりですからね、そういう安くて大量に食べられる料理が好まれるってのはあるんですよ。前、年に一回米軍基地が一般人にも開放されるカーニバルで米軍基地の中のピザ屋に入ってみたことあるんですけど、Lサイズのピザが1000円でしたもんね。


諸処用事を済ませて帰ってきて、今日は彼女さんとビデオ通話しながら読書をしてた。「本はどう読むか」(清水幾太郎著)を読了したので、今日はその感想を本文の方では書こうかと思う。僕の会社では規則として月一回の祝日の一つは休日出勤することになっているので明日は仕事だ。このブログを書き終わったらシャツにアイロンをかけて仕事の準備をしようと思う。きっちり眠ったし、土日で休んで疲れはとれたと思う。明日の朝はランニングでもあるので、早めに眠ろうと思う。

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