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「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著・柴田裕之訳)を読んだ。

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「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著・柴田裕之訳)を読んだ。


サピエンス全史をaudibleのオーディオブックで4月頭頃からずっと通勤の時に聞いていたんですよ。30時間以上ある大作なんですけど、昨日聞き終えましてね。印象というか、軽く感想を述べて参ろうかと思う。今回は読書メモもちゃんと取って無くてさ、本当に軽い印象ぐらいでしか感想を書けないかと思う。


サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福


サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福


この本は、現在地球上に居る人類、ホモ・サピエンスが地球上に現れて、他の類人猿との生存競争を勝ち抜くところから、現代の繁栄を勝ち取るまでの文明の発達までを確かな筆致で書き抜いた力作である。この本では、人間がどこから来て、どこへ行こうとしているのかを確かに書き記すことができている。


ホモ・サピエンスというのは他の類人猿のネアンデルタール人などと比べると脆弱な身体能力しか持っておらず、一対一では確実に殺されるような脆弱な種であった。これが、なぜネアンデルタール人を押さえて進化することが出来たかというと、虚構を作り上げることが出来たからであるという。サピエンスにも限らず音声でコミュニケーションを取ることが出来る生物はたくさんあるが、神などという虚構を作り上げて、同じ目的のために足並みそろった行動が出来るのはサピエンス特有の性質であった。


そこから、地球上唯一の人類になったサピエンスは、狩猟生活から農耕生活に生存戦略を切り替える。この、農耕に切り替えるという戦略は必ずしも優れた戦略とは言えなかったようである。農耕で実現できたことといえば、大規模な神殿や信仰の施設を作り上げることが出来ただけと言うだけで、各個体の生活の質は狩猟生活の頃の方がクオリティが高かったようである。


そこから、全世界の人類は「貨幣」「帝国」「宗教」によって、均一化されて一つの文化圏にまとめ上げられていく。現代社会では「民主主義」という一つの宗教によって、全人類は一つにまとめ上げられた。実質的、現代という世界は民主主義によって全世界統一された状態である。そのなかでは資本主義が幅を利かせており、消費主義による経済資本のドライブが無いと回り続けないような状態になっている。


しかし、科学から観た場合、サピエンスは成功してしまった種である。その科学という力は、地球を飛び出して宇宙まで飛び出して、原子力というまさしく無制限の力を手に入れて、遺伝子にメスを入れて、神の領域までも犯しつつある。この本で語られているのではギルガメシュプロジェクトといって、人間の個体の寿命を無制限まで延ばしていく可能性まで述べられている。人間は死をも超えていくのだ。


このサピエンス全史で語られている人類史観は、ポジティブな物でこれからの新未来に希望を持てるものだと思う。決して、机上の空論だけで語られているというわけじゃ無くて、実際の研究結果などを引用して学問的にも深い研究をしているんだけど、それをまとめ上げるユヴァル・ノア・ハラリ氏の考え方は、人類の未来を明るく照らしてくれるようなポジティブな筆致で語られている。これと類似の本としては「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリング 著)があるだろう。なんだかんだで、細かな問題を徐々に解決していくならば、人類は成功してしまった種なのだ。無論、地球温暖化や核戦争の問題などはあるけど、それらを解決してしまうと、おそらく、人類は宇宙まで飛び出してしまって地球にとどまらず他の世界まで出て行ってしまう。21世紀の初頭でそういう事が分かってきたのは面白くもある。


おそらく、これから人類は不死(イモータル)になって、生物という種を超えてしまう可能性が高い。その方法は電脳の中に意識を移してしまうとか、体を機械化してしまうとかそういう事もあるかも知れないけど、種として究極まで行き着いてしまった。これからすべきことは人類のみに限らず、全地球上の種の保全だとか、家畜として機械化されてしまった動物たちを救済したりだとかそちらの方にパラメータを振り分けたりだとかそんな方面だろう。


人類という種がどこからきて、どこへいくのか?それを明確に記している良書であった。


サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福


サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

今日の徒然


午後からランニング行ってきた。


www.yuki-2021-running-log.net


なーんか、休み中でだらけていやがりますよね。ランニングに関しても途中で3度も歩いているので、きっちりと走りきってる訳じゃ無いです。


なんとなくGWはだらだらモードですね。12時頃まででろーんと眠って、それから起きてから近くのすき屋まで出かけて適当に牛丼を食らう。それから近辺を彷徨って、マラソン用のキャップを購入するとか、今日の一日の活動はそんな感じだよ。


せめて、午前中には起きて、何かしら普段は出来ないような活動をすべきなのかも知れないですな。例えば、本をいろいろと読んだりだとか、普段観られてなかった映画をみるとかさ。そういう計画も無くは無いのだよ。ちらっと、お勉強でもして有意義な時間を過ごそうだとかそういう企みも無いではない。


よくよく考えてみると、5月3日から6日まで旅行に出かけるので、その間のブログも書かないとならんとですな。別に通常進行のブログなので適当な奴で良いかと思われるのだが、4日分というと本題4日分でも4000字である、なかなかにしんどい戦いが待っておるのである。


あしたから、スタバにこもってブログ執筆虎の穴でもやってきますかね。普段だったら、時間になったらオートマチックで2000字を書いちゃうではあるんですけど、何も考えずに4000字も文章を殴り書けるほど強い人間でもないのである。スタバでちょっと甘い物でも食いつつ、一日2記事ぐらいの分割でノマドかましてくる他ないのでなかろうか?


まぁ、5月3日からの新潟旅行は楽しみではあるんですよね。自分が住んでいるところとは違う風土を眺めてくると言うのは、それだけで一級線の学びですよ。実際だったら、住んじゃうと、自分の住んでいるところでは分からないことなどが見えてきたりもするんですけど、旅行で数日そこの水を飲むだけで地元じゃ分からんものが見えてくる物だ。


もう、彼女さんのご両親にもご挨拶せにゃならんと言うことで、いまから何を言うかガッチガチの状況でごぜぇますだ。新潟行きの便でそれをじっくりと考え続けにゃならんのかと、今からいろいろと脳内予行演習をしておるのでございまして、その脳内予行演習もGWの暇なうちにやっといた方が良いだろうな。

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