
「何もしない」が全くできない。
今日は土曜日である。特に予定のない休日。午前中は母親の入院しているリハビリ施設に見舞いに言ってきて、午後からはサウナに入ってきた。
自宅に帰ってきてニュースレターを書いたのちこのブログを書いているのであり、これが終われば晩飯にする予定である。何事もなく休日を過ごすことができて、サウナも入ることができたのでリラックスしている。
なんじゃろ、こういう休日というのは週に一日は必要だなーと思う。僕は気をつけないと休日にもスケジュールを詰めまくり、結局、休んだ気がしないままに次の週まで疲れを持ち越してしまう。
ほんとね。気をつけて休むように気をつけないとあっという間に世間に潰されてしまうから気をつけんとな。サウナに入っていてぼんやりとした思考の中でも考えたことだけどさ、僕は強迫観念に囚われすぎである。
これは基本的な日常生活の中ですら、僕は「頑張らなければ」とか「効率的に情報を詰め込まなければ」的な妄想が強いんである。サウナに入っていると気がつくんだけど、思考に無駄なこういうノイズが多い。
僕の主観的な感想であるけど、サウナがすごいなーと思うんは、強制的に瞑想状態に入って、これらの脅迫観念的な思考の無駄遣いに気がつくことができる。普段の生活の中では、何も考えていないつもりでも「何かしなければ」的な強迫観念で僕はドライブしてるのだけど、サウナに入るとこういう雑念がわかる。
こういうのは瞑想とかでわかるようになるのかもしれないけど、僕はサウナでわかる。なんだろね? そういう思考がゆっくりになる効果がサウナにはあるよね。僕の場合、自宅でのんびりしていても常にPCとか音楽とかをかけて脳がドライブしてる状態であり、常に気が休まる時がない。
僕は寝ていてもすごく複雑なことで悩んでる夢ばかりを見るし、そういうのがもう病膏肓に入っちゃってるのだと思う。思考の通常の速度自体が、自分を追い込む方向性でフルバーストであり、気を抜くというのがさっぱりとできない。
これ、禅とかの本でも読んだことがあるけど、肩とかの力を坐禅を組む時には抜かないといけないのだけど、かなり修行しないとその感覚は体得できないんだとさ。
こういう身体的なリラックスの方法というのは、練習は必要だなと思う。経験がある人はわかるかもしれないけど、緊張してる時の深呼吸を使ったリラックス法ですら、練習をしないとちゃんと効かない。
身体的なリラックス技法というのは、練習すればするほど身につくものである。これはちゃんと体系付けられたものだと太極拳とかヨガになるかもしれないけど、それ以外のマインドフルネス瞑想とか筋弛緩法にしても身体的な練習が必要な技術だろう。
僕のような強迫観念で動いてしまう人間というのは、頭でっかちで体の感覚を信用してないのだと思う。脳というのはとかく暴走をしがちであり、体が追いついてないのに自分の考えてることを無理やり実行しようとしすぎである。
なんでまぁ、現実と思考のリズムを適切に合わせてやる必要があるんだと、僕は思うんだよね。無理をして体が疲れているのに、休むことまで理性中心で休もうとしても、気が休まらない。交感神経と副交感神経のバランスだと思うんだけど、みんなスマホとかモニターばかりを見つめてる現代では、情報の刺激が強すぎていつまでもリラックスができないのである。
こういうの、止めるための方法がマインドフルネス瞑想だというけど、マインドフルネス瞑想すら意図の力が働いてるよなと思う。僕は毎日20分の瞑想を5年ばかし続けてるけど、それすら「やらなきゃ」の意志の力でやってるもんで、完璧なリラックスではないかもしれない。
「何もしない」をする。これ、現代人にとっては難しいことである。気がつけば身の回りにはすぐさま考えさせられる情報があり、それを完璧に遮断する方がコストが掛かる。僕もそういう現代病に罹ってるのかもしれないな。一日30分ぐらいは完璧にスマホもPCも電源を落として、音楽すらかけない。そういう無の時間が必要なのかもしれないなと思った。