超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

自分の信念をブレさせない生き方に憧れる。

自分の信念をブレさせない生き方に憧れる。


いきなり最高潮のMAXで調子悪い。体の中の方で心臓だけがドキドキいってる感じで体が緊張してしまってる。不安な感情が強くて、メンがヘラってる状態。ほんとさ、久々だよなこの感覚。今年の3月から5月の頃はメンタルの調子が不調でずっと沈み込んでいたのだけど、6月からは復調してきた。でも何かしらインシデントが発生するとすぐに不調モードに陥ってしまうのだな。今日はブログを書いたらすぐ寝る。


まー、不調な感覚に気がついてるだけでもマシな方か。今日はさっさと明日の食事の準備をしてすぐ寝よう。ブログは2000字書けるかなぁ。体調不良なら体調不良で書くべき文章も存在するかなと思う。


なんというか、自分は受け身すぎるのがいけないのかなと思った。ストレスを受けたりしても常に我慢し続けるのがデフォで、状態を改善するために行動するのも自分の内面を変えていこうと考えるタイプ。マインドフルネス瞑想だったりとか、ああいうのを勉強しているのもストレスに対抗できる自分のメンタリティを作り上げたいと思っての行為である。


マインドフルネス瞑想の習慣については、そろそろ毎日練習し続けて1年ぐらい経つ。一応、少しは瞑想をやったことで身体感覚にフォーカスを当てて、ぐるぐる思考などからストレスを受けずに退避する方法は覚えたかと思うけども、ショッキングな出来事で動揺したりすると、体のほうが緊張してしまってパニックを起こしてしまう。この状態から元に戻すためには、呼吸を少しずつ深呼吸したりして体のほうを安心させないといけない。


僕は統合失調症を患ってるせいか、動揺しやすかったりストレスに弱かったりするのだけど、それをなんとか対処するために色々とストレスコーピングやレジリエンスを高める方法を集めている。なんか、一般的に統失の症状といえば幻覚みたりとかそういう病状のほうが印象強いかと思うけど、病気の症状は人それぞれ。僕はそういう幻覚見たりとか陽性症状みたいなものって病気が一番重かった時期しかなかった。


僕のメンタル関係の問題点といえば激しく怒ったりとか、ストレスを溜めてしまった時に、感情が不安定になって激しい鬱状態になってしまうこと。これは普段の対人関係とかで受けるストレスでも良く発生する症状なのだけど、世の中で何か大きな事件が発生したときも気分の落ち込みが発生する。最近だと、ウクライナ戦争のニュースがひっきりなしにTVで報道されていた時とか、ほんとごく最近だと安倍さんの事件なんかも非常にストレスを感じてまずい。僕は安倍さんのニュースに関しては、TVとかネットとかで情報に触れないように気をつけている。


まぁ、メンタルが落ち込んだ時に気をつけるべきことは、気分が沈み込んでたり興奮している状態の時に、大きな決断をしてはならないということである。僕が今までの人生を歩んできて学んだことであるけど、調子が悪い時に何かこの先の未来に影響しそうなことを決定したりするとろくなことにならないということだ。というか、物事を何か「決断」するとはいうけど、「決断」するまでの状況に追い込まれてる時点で既に負け戦の敗戦処理である。物事がちょうど良い感じに転がってる時は意志の力を使って何かを判断したりすることはない。何かリスクのある決断をする状況に追い込まれている時というのは、負け込んでいて建て玉をロスカットをしなければならない時だ。決断をしなければならない状況に追い込まれるまでに戦況が悪化してると、どのみちどんな決断をしていても得られる利益というのは-100が-50ぐらいになる程度のものだ。決断を迫られる時点でリスクマネジメントに失敗しているのである。


僕の人生というのはまぁ、負け犬の人生であるかと思うけども、別にそれで悔しいだとか絶望だとかは思ったりしない。何か人生全般に対してネガティブな感慨を抱いたりする理由って、人生において何か高い理想を持ってたりだとかしてることだと思う。僕は既に人生の中で最も最悪の時期というのを経験しているので、よっぽどの下手を打たなければあれ以下まで落ちることはないと確信している。どん底を見ているので、どんなに一時的に苦しいことがあってもこの状況を耐え抜けば人生の大局は好転していくと分かっている。


僕は人生の中でどんな苦難にぶち当たろうとも、自分の美的感覚に準じてみっともない生き方はしないようにしていきたい。最近、東方アレンジのこの曲をよく聞くのだけど、歌詞がちょっと好きだ。



www.youtube.com

誰も得しないことをなんでするの?

エゴをみせるなら美しいエゴを

情念は奥の方で飼い慣らす生き物

貧しさや豊かさは

転がす賽の目で変わるはずさ


僕は、案外自分の人生における審美眼というのを信じているのよ。他人からなんと言われようとも自分が美しいと信じる生き方をしていれば最終的には満足できる生き方をできるはずだ。自分はそうあれば良いなと思うけど、信じている信念をブレさせない生き方をしてみたい。

プライバシーポリシー免責事項