
最近は書くことの趣味が内側に閉じている気がしてならない。
今日は夜にブログを書いている。どうも朝から天気が悪くて、体調も今ひとつだった。気象病ってやつかもしれない。雨の日はどうにも眠くなったり、頭が重くなったりする。もう何年も悩まされてるから、今度病院で相談してみようかなと思っている。
そんな調子の中、今日は朝からエアコン掃除の立ち会い。うちには3台あって、それを業者さんにお願いした。ついでに母の日の買い物や食材の調達もして、ようやくひと息。今は自宅でぼんやりしながら、何をしようか考えていた。そういえば、ブログ書いてなかったなと思って、こうしてキーボードを叩いている。
旅行の疲れが残っていたせいか、今週の後半はなんとなく不調だった。だから明日は骨休めの日にしたい。とはいえ、車も洗いたいし、サウナにも行きたい。でもまた雨らしいので、外出は難しそうだ。Netflixでも観てゆっくり過ごすのも悪くない。とはいえ、コーヒー豆も切れそうだし、なんだかんだで外に出たくなる気持ちもある。明日のことは、明日考えよう。
ただ、家にいると無駄に寝てしまって、結局時間を浪費したような気分になる。せっかくの休みがもったいなくて、かえって気に病んでしまう。だから少し外に出て、ノートパソコンを持ってカフェで作業するのもアリかもしれない。最近は物書きに熱を入れているから、少しでも前に進めたい気持ちがある。
まぁいいか。明日はちょっとパルコシティにでもノートパソコンを持って行って、コーヒー豆を買ったりとかスタバで作業なりでもしようかな。ちょっとアプリの証明書の更新もしないといけなかったりとかで、家でダラダラと長寝をするのも無駄であるしな。
最近どうにも、物書き趣味に対して疑問が生じてる。自分はなぜ文章を書き続けているのか。ただの習慣なのか、それとも何か伝えたいことがあるのか。そこのところが、いまいち自分でもよくわかっていない。ブログも毎日書いてはいるけれど、目的がぼやけていて、「書くために書いている」という状態になっている。
本来、文章とは誰かに伝えるための手段であるはずだ。にもかかわらず、自分の内側だけに閉じた独り言のような文章を続けていると、虚しさを感じる。トートロジーに陥って、意味をどこにも届けられないまま、ただ自己言及して終わってしまう。そんな感覚が、最近少し怖い。
だから小説を書いてみたり、ニュースレターで人に読んでもらったりしている。ありがたい感想をもらうこともある。けれど、やっぱり気になるのは「自分の書くものがちゃんと届いているか」ということ。独りよがりな文章になっていないか、日々自問自答している。
最近はSNSなどがあるので、書いたことに対して直接ありがたい感想をもらえたりもするのだけど、自分はそういう他人の反応を投げてしまってる。しかし、それが原因で自分がモノを書く理由を見失ってしまうのだから、なんというか世話がない話である。
ブログは独り語りの場ではあるけれど、それでも誰かに何かを届ける意識は持っていたい。あまりにも自己完結的な言葉ばかりを並べていては、読む側にとっての意味が消えてしまう。そうなったら、書かない方がいいのかもしれないとも思う。
最近はそんなことを考えていて、スランプとは違うけれど、ちょっと足が止まっているような気がしている。書くという行為に対して、自分なりの哲学が必要なのだろう。けれど、それは考えて答えが出るものなのか、正直わからない。ただ、考える価値はあると思う。だから、もう少し考えてみるつもりだ。