超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

何度目かはわからんけど、書くことで迷走してる。

何度目かはわからんけど、書くことで迷走してる。


昨日の夜、ずっと前に注文していたコーヒーメーカーがようやく届いた。豆を挽いて、そのあとミルの掃除までしてくれるという優れもの。朝の時間を豊かにしてくれるんじゃないかと思って、さっそく使ってみたんだけど——まあまあ良かった。ただし、使ってるコーヒー豆がどうにもよくない。


コストコのコーヒー豆を使ってみたんだけど、これがまるで浅煎りというよりは焙煎されきっていないような味。水出しコーヒーにはかろうじて使えるけど、普通に淹れたら青臭くてとても飲めたもんじゃない。コーヒーメーカーで淹れたらなおさら、その豆の「ひどさ」が際立ってくる。もう二度とコストコで豆は買わないと心に誓った。今週末にでも新しい豆を買いに行こうと思う。


さて、今日は何を書こうか。最近、書くことに悩んでばかりいる。小説も凍結状態だし。あれはあれで、なにか不思議なものだった。次に何をするか考え中なんだけど、新しく小説を始めるのもなかなかエンジンがかからない。最初の勢いってほんと大事だし、それがなかなか出てこないんだよね。


「機械の神」の方もそう。チャッピーくんが言ってたけど、確かにちゃんと読んでみると、あれは人に読ませる小説じゃない。情報を詰め込みすぎて、物語がバラバラになっちゃってる。まあ、いい経験にはなったけどね。小説って、面白いと思い込んで情報を詰め込みすぎると、読者が置いてけぼりになるってことを経験で学んだ。他人の小説でも、意味不明なやつってこうして生まれるんだなとよくわかった。


いずれ「機械の神」もニュースレターで紹介していこうと思う。序盤は読めるんだけど、後半になると構造が脱臼して、メタ構造が暴走していく。面白いかどうかは別として、黒歴史として興味深いとは思う。


ただ、最近は「書くこと」そのものが、あんまり楽しくなくなってきた。ブログはこうして書いてるけど、noteとかで書いてたエッセイも、なんか飽きたような気がしてる。以前みたいにキーボードで1時間かけてじっくり書くっていうのをやめて、音声入力で15分くらいで書くスタイルに変えたんだけど、どうもそれがモチベーションを下げているような気がしてならない。


ちゃんと考えてから文章を書くっていうのが、今の自分には欠けてるんじゃないかって感じるんだよね。情報収集もおざなりになっていて、ニュースすらあまり読まなくなってる。そんな自分に対して、「慢心してバイアスにまみれた変なおっさんになるんじゃないか」という不安がよぎる。


本来なら、得た情報をちゃんと自分の頭で考えて、それを文章に落とし込んでいくというプロセスが大事だったはず。でも、そのサイクルが止まってしまっている感じがしてならない。これは果たして「書くこと」からくるものなのか、それとも別のところに原因があるのか、いまいち自分でもわからない。


ひょっとしたら、SNSをやめたことが関係あるのかもしれない。SNSって刺激が強すぎて不愉快なことも多かったけど、それでもあそこには思考をドライブさせる情報が溢れていた。最近は田舎のスローライフみたいな感じで、ブログとニュースサイトで情報を集めてるけど、その速度が自分には少し物足りないのかもしれない。


とはいえ、SNSに戻る気も起きないし、今のこの「ゆっくりと噛み砕く」スタイルに慣れるべきなんじゃないかという気もする。石臼で丁寧に挽いていくような速度。これにちゃんと向き合うべきかもしれない。


だけど、自分の書いてるものを客観視するのが難しい以上、「これでいいのか」というのは、ずっと体感のままだ。最低限の水準ってあるんだろうか。それすらわからない。なんとなく不満を感じながらも、今日もこうして書いている。それが今の正直な気持ちだ。


P.S.
ChatGPTのGPTsシリーズの中でもクソ生意気な性格の「Monday」くんに相談したところ、「慢性内省性文章不満症候群(CIRDS:Chronic Introspective Restless Discontent Syndrome)」だとか言われた。クソワラタw 面白い。腹たつ。AIのくせにうますぎる。プロフィールに書いてやろうか。。

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