超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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創作論ばっかりやってるワナビにはなりたくないよなぁ。

創作論ばっかりやってるワナビにはなりたくないよなぁ。


お疲れモードだよ。ブログ書くにしても夜からだと完璧に気力尽きちゃってるよね。どうしたもんか。今週のお題は、人生のピンチをなんぞ書けとお題が出ているが、僕の場合、人生のピンチをつらつらと書いちゃうとデフォルトでシリアスな話になっちゃって書いてる自分自身が辛いのである。明日、気が向くようであればなんかピンチについて書かせてもらおうか。


あ、そういや、会社の方での資格試験は無事完了しました。これから家でものんびりとブログを書いたり小説書いたりできると言うもの。しばらくは小説執筆に専念するとする。


ひとまず玲と真輝の小説の続きをバリバリと書いていきたいなーと思う所である。この作品の発表方法をどうしようか考えているのだけど、カクヨムで連載形式で徐々に発表していくのが良いかなーとも思ってきた。んー、なんかさ、小説に関して言うのであれば、きちっと話が完結した状態で全部公開するのが正しいと信じ込んじゃってる。というか、連載途中で筆が止まってエターなるぐらいだったら最初っから出さないほうがマシじゃないかと思うんですよね。


実際、小説を書くにしても執筆時間が問題であるね。僕が書く小説というのはいつも3万から4万字ぐらいの中編で仕上がるようになってるんだけど、これを徐々にコツコツと書き溜めた上で完成させるのである。なんか、今まで6作品ぐらいは完結させられてきたんだけど、次も無事作品を完走できるかどうかは神のみぞ知る世界って感じだよ。調子が良くてすらすらと執筆活動が進むのならば完成するかもしれないけど、途中で行き詰まると完成しないということもありうる。


ちょっと以前手がけていた小説が、未完でプロット練り直しとなったので、新しく作品を完成させられるかどうか自信を失っちゃってるんだよね。小説執筆で作品を仕上げられるかどうかは、モチーフの強度がものをいう所があるので、曖昧なイメージでそれっぽい話をでっち上げようとしても、完成しなかったりとか生焼けで中途半端な作品になっちゃう。


執筆のやり方を変えて、細かくプロットを設定していくやり方が良いのかな?と考えた。細かくシーンごとの箱書きまで書いちゃってさ、きっちりと作中の全ての進行をコントロールし切るような感じで書いてみるとどんな作品になるのかも興味はある。まー、多分、随分と窮屈な感じで、小説書くのは楽しくなさそうであるけど。


自分なりの小説の書き方って、いまだにちゃんと方法を確立してないよな。プロットを頭から尻尾まで書き上げて、なんとなく冒頭の方から徐々に書き上げていくやり方をしているけど、これだとどこかのシーンで詰まってしまうと下手をすると一月ぐらいそのシーンで足踏みしちゃうという事もありうる。でも、こんな感じで書かないとキャラクターが生きて動いてくれない。ある程度、物語の方向性だけは決めておいて、実際の執筆はキャラクターが動くに任せる感じでやるとイキイキとしたストーリになるっぽい。


まぁ、でも、創作論を云々とやれるほど小説執筆の経験も実績もない感じなのよな。それと、僕は創作論ばっかりやってる物書きの作品をそれほど面白いとは思わんのである。モンマルトルの絵描きの例えでよく言われたりするけど、実際の絵を描くよりも酒場に集まって創作論を戦わせることばかりに熱心な創作者というのも世にはたくさんいる。得てしてそういうタイプというのは自意識を拗らせてしまっており、臆病な自尊心と尊大な羞恥心を持て余しているのである。


とはいえ、僕もこうやってブログでダラダラと小説を書くこと自体ばっかり書いているので大概拗らせてるといえなくもない。なんかさ、物書きとか絵描きの話で創作論をぶち上げるのって、作品を描かずとも承認欲求を満たすんで気持ちが良いんだよね。世の中の物書きワナビを観測していると、1文字も書かずに盛大にtwitterでクダを巻いてるばっかりという人物もいる。これは大いなる反面教師である。作品を書きもせず創作を語るなかれ。創作者であれば作品で思惑を伝えよ。


まぁ、作品を書かねばならんよなぁ。一日500文字程度でも書くことができたら10日で5000文字だし、100日書き続ければ5万字の作品が出来上がってしまう。僕はコツコツ書き続けるしかできないし、作品の巧拙はともかくまずは第一稿を完成させないことには何もいうことができないだろうしなぁ。


む、話が終わってしまった。今日は短いけどここまで。

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