読書に真剣に向き合えてない気がする……。
僕は、朝の通勤時間に車で移動しながらAudibleのオーディオブックを聴く習慣がある。最近、アサガ・クリスティの「アクロイド殺し」を読了して、次に九段理江の「東京都同情塔」を聴き始めた。
「アクロイド殺し」はご存知、エルキュール・ポアロシリーズの有名すぎる作品である。どういうトリックが使われているかは知ってるけど、本自体は読んだことがなかったので読んでみた。僕は、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズとポアロであれば、ポアロの方が好きだなと思う。
1900年代のイギリスの格調高い雰囲気とか、古典ミステリー独特の純度が高いサスペンス度合い。その辺りの雰囲気を楽しむために読む作品だね。アサガ・クリスティの文章は癖がなくて聴きやすいね。どうも、純文学のような変に捻った文章よりは、ミステリーのような相手に伝えるのを前提とした文章の方が面白いかもしれん。
次は「そして誰もいなくなった」あたりを漁ってみてもいいかなと思ったりもしたけど、Audibleのライブラリを漁ってみると以前、芥川賞を取った「東京都同情塔」が無料で配信されていた。
「東京都同情塔」については今んところ本当に序盤しか読んでない。でも、それでも雰囲気がある作品だなとは思う。この作品はAIを使った文章を利用してるということで、ちょっと騒動になった作品である。でも、作品の内容自体がそもそもAI時代が舞台背景として使われてる感じであり、この作品中でAIの生成した文章を使うのは不自然ではないだろう。
まぁ、最近の読書傾向は色々な小説を読むことが多いかなと思う。そろそろ、どんな本を読むかのアイディアが尽きてきた。図書館なり大型書店なりに行って、平積みにされてる本から最近の売れ筋の本あたりを探ってみるのもいいかなと思う。
僕の読書傾向としては、流行り物の自己啓発本だろうが、ラノベだろうが、古典文学だろうがなんでも読む雑食である。好みとしては哲学や心理学が含まれてる読み物を好む。僕自身は小説を書くので、そのネタ探しのために直木賞芥川賞受賞作とか本屋大賞の作品なんかもよく読む。
好みの作家は誰だろう? と振り返ったところ、桐野夏生・高村薫・誉田哲也あたりが好きだなと思った。どうも、小説の好みとしては警察小説とかハードボイルドなやつが好みらしい。
その時読んでる本としては、最近の流行り物の本を読むことが多いなーと思う。基本的にミーハー気質なんで。最近だと「三体」とか「プロジェクト・ヘイルメアリー」とか、「成瀬は天下を取りにいく」とか、「百年の孤独」は、全部ネットの流行りだから読んだ。
流行り物を追っかけるのも悪くはないけど、もうちょっと一本筋が通った感じというか、ビブリオバトルで激しく推しを語れるぐらいになりたいなどと微妙に思う。どうも、読書自体がコンテンツの消費のための読書になってるというか、「流行りだからひとまず読むかー」というノリで読書をしてるのである。これはよくない。
んー、なんかさ僕が「こんな風になりたい」と思う姿としては「本の雑誌」あたりで色々とマイナーな趣味を熱く語ってるオタク気質な人たちがいるでしょ? あんな感じで読書について一家言持ってるような本オタクってかっこいいなーと思うんすよ。
必ずしもとんがったオタクになる必要はないかと思うが、自分の好むものはなんなのか? と明確に自分の中ではっきりさせておくと読む本も選びやすいかなと思った。僕はいつも流行りの作品とか流行りのものを追ってるだけで、自分なりのビジョンのようなものがない。
しっかし、こういうのは多分、若い頃から多読してる人がたくさんの本を通じて見つける道のようなものではないかと思うのだ。
僕は本は読むけど、趣味は読書ですと言えるほどは本を読んでない気がする。なんとなくコンテンツを摂取したいとか、情報収集が必要かなと思って本を読むぐらいであり、読書それ自体にあんまり意味を見出せてない。
本を読む行為自体がそれほど好きではなく、必要な情報を最速で拾い出せればいいと考えるのはエンジニアだからだろうか? 読書のやり方自体も、最初の方から視線を流すだけのやり方でドッグイヤーや付箋を貼るだけで、そこから必要な情報を抜き出すための読書というのをやりがちだ。
もっと読書というのを音楽のように楽しみたいというか、こういそれ自体に愛着を持つことはできないかなと。読書が好きな人って、本を読むのに付加価値を求めてない。本を読むことそれ自体が好きだから読んでる感じで、本と自分があればあとはいらないぐらいまで煮詰まったオタクもいる。
もっと露骨な表現を使うのであれば、僕は単なるポーズで本を読んでるんでないかと不安になるんである。こうやって本を読んでる姿だけを他人からの承認を求めてやってるだけで、真剣に本に向き合えてない。
いや、そもそも読書に高尚さを求める行為自体がミーハーであるとか、そういう読書に聖域性を求めちゃうのがいかん気もするのだが、今日は紙面が尽きたのでここまでである。