超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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仕事での悩みが吹っ切れてきた感じ。

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連日へこんでるところばかりを見せるわけにもいかんなぁ。


や、昨日はお見苦しいところをお目に掛けた。やっぱり連日へこたれてる所を見せるのは恥ずかしいよね。でも、このブログに弱音を書くことで結構、救われてるところもある。自分の心中を鬱々と溜め込んでいると、思考がどんどんループしてカルマが貯まりまくるんだ。この状態を蓄積していくといつか爆発するから、適度にガス抜きするのは必要ではあるんだよな。


それと、コメントをありがとうございました。落ち込んだ所に親切にコメントを貰うとやる気出る。いつまでもうじうじせずに明日もやっていこうみたいな気力が湧く。


いつまでも些事で落ち込んでる訳にもいくまい。問題点があるのなら改善点を考えて次に活かしていく。失敗をしたならば、その失敗を糧にして次は同じことが無いように修正をしていくべきだろう。

権力争いに巻き込まれてはいけない。


今回の一件、実際の所、怒られるような仕事の仕方をするのがまずいのである。集中力が無いならば、集中力が無いなりに出来る仕事を真面目にこなす姿勢を見せれば良い。そもそも相手も一緒に働いてるし立場もあるし、相手を舐めたような仕事の仕方をしたならば怒られるもんだろう。仕事が出来ないとしても真面目に働いている姿勢を見せたら良い。誰からみても真面目に働いている人は理不尽に叱りにくい。


この一件に関しても、怒られたからといって相手を逆恨みするようなことはしないで、人間関係ではきちんと礼儀を尽くすべきである。怒りの感情のままに攻撃の応酬をしてしまうと、仕事上での最低限の信頼関係すら築くことができない。相手に媚びる必要は無いが、きちんと挨拶をしたりとかきちんと仕事の上での報告などはしっかりとしておく必要がある。


「嫌われる勇気」の中でこういう文章があった。これはしっかりと理解しておかないといけない。

私は正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たなければならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。

岸見一郎、古賀史健 「嫌われる勇気」 ダイヤモンド社



勝ち負けにこだわると目先のことしか見えなくなり、本質を見失う。僕の人生の目標はこの人に勝つことではない。自分なりのやり方できちんと仕事を働きぬくことである。

仕事のやり方を工夫するようにするべきだと思った。


他にもさ、仕事のやり方を工夫して、なるべく少ない労力で最大限の効果を得られるような働き方をするべきだと考えた。障害もあるし、歳でもあるし、単純な労働力で勝負しようとしても無駄だ。同じ舞台で戦うのではなく、頭を使って立ち回らないといけない。


これは仕事でも生活でも趣味でもそうだ。若さに任せて勢いだけで生産性をだせるようなやり方というのはある一定以上の年齢になると通用しなくなってくる。歳を取ってくると病気の有無に関わらず集中力は落ちていって若い頃みたいなパフォーマンスは出せなくなるもんだ。生産力ばっかりを重視するマインドでは、そのうち自分が想像しているほどの生産性を出せないことに気がついて落ち込むことになる。


単純作業をやるにしても何か工夫をして、クリエイティブなやり方を見つけ出すべきだよね。歳を取ってくると、昔ほどの体力は無い代わりに経験の力が身についてくる。その経験を活かした効率の良いやり方などを考えて、思考力で勝負するべきだよね。

まとめ


今回の一件も、なんとかうまく自分の中で昇華して成長に結びつけたいなと考えた。「嫌われる勇気」も読み返してみると、こういう時の考え方などで参考になるようなことがたくさん書いてあった。この本も読み返しておく必要があるだろう。


どうせ仕事をやるならば楽しく仕事をやりたいもんだ。怒られたからといって萎縮してへこたれていると、自分から世界を縮めてしまうことになりかねない。相手がどんな真意を持っているのかは分からないけど、それは僕には関係ない。他人の行動を無理やり捻じ曲げようというのは誰にもできない。人は人、自分は自分、されど仲良し。である。自分は自分のやり方で自分にしか出来ないことをやっていこうと思う。

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