確証バイアスで老害化するのは避けたいね。
最近僕は、「メンタルマネジメント大全」なる本を買って読み始めた。
や、書いてあることは大体理解していることであるなと感じたけど、網羅している範囲とかメンタルの問題に応じて実際の行動指針のようなことが書かれているのが「いいな」と思って購入した。これは、自分が「恨みの感情を拗らせてる」とか「ぐるぐる思考が止まらない」とかそういう時に、インデックスからその時の対応方法を調べてその箇所を読む、辞典のように使える。
僕がセルフケアでやってる「認知行動療法 + マインドフルネス」というのは、実のところ近年の臨床心理学のメインストリームの流行りである。最近の心理学では、第三世代・認知行動療法を臨床の場で適応しようというムーブメントが起きている。そこんところの理論を僕はアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)の書籍などで知ったから、それを参考にしてあれこれやってる感じ。
僕は大学の専攻は心理学だったんだけど、僕が学生の頃は、河合隼雄先生が日本の心理学会を主導して臨床心理士とかのカウンセリングブームとか癒し系ブームが来てた頃である。僕の頃は、ユング心理学とかロジャーズの来談者中心療法とかそっち系が心理学のメインで、まさか自分が認知行動療法にはまり込むとは思わんかったよね。
まぁ、僕もそれなりに体系付けて心理学を勉強してきたので、自分が使ってる認知行動療法なんかは、大学で使われてる教科書を買って、ある程度の理論ベースの研究もした上で、自分の使うセルフケアを選択してる。その割にはコーピングでは全く理論付けがオカルトの思考場療法(TFT)なんかも使ったりするけど、僕は基本的に行動原理はプラグマティズムである。効けば、漢方でも気功でもなんでもやる。
冒頭は心理学の話であるが、本題は別である。最近の僕は「確証バイアス」が強くなってきており、年相応に頭がカチコチになってるなーと感じることが多々あるのだ。
僕はアニメなども色々と見たりするのだけど、最近「転生したらスライムだった件」をちょっと見始めた。いわゆる異世界転生の無双系のアニメである。
「どんなもんだろうなー」と思って怖いもの見たさだったのだけど、案の定、拒否反応が出た。全体的にキャラ造形がテンプレで薄っぺらく、シナリオがご都合主義。主人公は運が良いだけで上手くいってるのに、作中設定では深みのある人物として扱われて敵キャラに上から目線で説教をかましたりする。
しかし、作画やらキャラデザインなどのアニメとしてのクオリティがやたらに高いのである。こりゃ相当にアニメスタッフが有能なのか知らないけど、原作がペラペラのストーリーだからこそ頭を空っぽにして何も考えずに異世界にトリップするようにアニメが作られている。
「転スラ」については、現実に疲れたサラリーマンが家に帰ってきてダラダラ見る向けアニメと僕は解釈した。今は1期の中盤程度だけど、ここまで来るのに相当七転八倒した。僕は、アニメを見る時はよっぽどでなければ途中リアイアをしないようにしており、ひとまずは1クールを見てみないとどんな作品か判断できないよなと思っている。
なんというか、こういう経験を客観視してみて「頭が固くなっている」と思うのである。普段の情報収集とかでもそうなんだけど、典型的なフィルターバブルに囚われているというか、自分の心地よい情報ばかりを集めてしまい、自分の意見とは違う話題を無視してる。行動が保守化しており、この調子で行くと頭カチコチの老害ジジイに成り果てる。
ほんと、僕は老害というのが大嫌いなので、自分自身がそうなることだけは避けたいよなーと考える。自分の知ってる常識だけに立てこもって、若者の意見を上から否定してくるようなおっさんというのが大嫌いなのである。僕の人生の歴史というのは、そういう老害おっさんと戦い続けてきた人生である。
変に若作りをして自分を持たないのも考えものであるけど、知的怠惰の果ての老害については、さっさと組織から排除されるべきであると考える過激派。自分の頭で考えることを辞めて、自分のいつもの行動パターンに周りが合わせるように強要してくる老人については、さっさと引退して引くべきだと考える程度にはリベラルである。
だから、心理学にせよアニメにせよそうだけど、今世の中で流行ってるものに関しては、それだけの何かしらの価値があるんだろうなーということで理解をする努力を怠ってはダメだと思うのだ。実際まぁ認知行動療法についてはよくハマったし、「転スラ」についてもリムルと旅を続けてたら愛着が湧くのだろう。
人間というのは挑戦をやめた瞬間に老いていく。自分が居心地の良いコンフォートゾーンに囚われていては成長することもできない。こういうのは年齢ではない。学ぼうという志さえあれば、人間はいつまでも成長可能だ。