
好きなものをはっきりと自覚する練習が必要だな。
今日もブログを書いていく。昨日は筋トレがなかったから、そのぶん絵の練習をしていた。そんな一日の中で思ったのは、「自分は何を描きたいのか、ちゃんと分かっていないんじゃないか」ということだ。
最近『成功する練習の法則』という本を読んだ。
そこには、練習中は一時的に技術が落ちることがある、と書いてあった。だから、今うまく描けないこと自体は、それほど悩む必要はないんだと思えた。成長の途中で一度崩れるのは、むしろ正しいプロセスなのかもしれない。これはまぁ、プログラミングのリファクタリング中はシステムが一時的に使えなくなるのと同義だろう。
それでも、描きながら引っかかる。僕はいつも手の癖で描き始めて、なんとなく形ができて、それで満足してしまう。でも本当に必要なのは、描く前に頭の中でビジョンを結ぶことなんじゃないかと思う。うまい人は、最初の線を引く前から完成形が見えているという。僕にはそれがない。だから、イメージトレーニングみたいな練習が必要なんだろう。
僕は小説のキャラクターをイラストにしたいと思っている。ならば、その人物がどんな表情で、どんな光の中に立っているのか、あらかじめ思い描いておくべきだ。紙の上で探り当てるのではなく、心の中で像を結んでから、それを書き起こす。たぶんそれが今の課題だ。
そしてこれは、絵に限らない話だとも思う。僕は自分が何を好きなのか、実は解像度高く理解できていないんじゃないか。絵、小説、クラシック、コーヒー。確かに好きだ。でも、その中のどの瞬間が一番楽しいのか、どこに心が震えているのか、言語化できているかというと怪しい。
行動してみて初めて分かる、というのも一理ある。でも毎回それだと、線を引きながら絵を探すのと同じだ。人生全般で、最初にある程度の像を結んでおけたら、ブレは減るんじゃないか。自分は何者で、何のために生きているのか。そこまで大げさでなくても、何が好きで、どの方向に歩きたいのか。それが分かれば、迷いは少なくなる。
とはいえ、答えは机上では出ないのも事実だ。筋トレをして学ぶこともあるし、イラストを描いて人生を考えることもある。本を読み、先達の言葉を借りながら、自分なりの形を探す。そうやって振り返ると、無駄なことは一つもない気がする。
絵の像が先に見えるという現象は、これまで試行錯誤してきた失敗データベースの蓄積により、描きたいと想像している先の像が前もって見えるということだろう。このためにはどうしても試行錯誤が必要になるのだと思う。
僕は職業としてはプログラマーだけど、それ以外の趣味や試行錯誤が、確実に思考の幅を広げてくれている。人生はもう後半戦かもしれない。それでも、まだ成長できる余地はあるはずだ。そのために必要なのは、結局、手を動かすことなんだろう。
描く前に像を結ぶ。でも結ぶためには、やはり何度も描くしかない。行動と内省を往復しながら、少しずつ輪郭をはっきりさせていく。それでいいんだと思う。無駄な経験なんてない。今日もまた、その確認をした一日だった。
