きちんと足元を見て生活するのが大事だなと思いました。
年末だねぇ。僕は那覇近辺で働いているんだけど、毎年これぐらいの時期になると那覇バスターミナル近辺はイルミネーションで飾られているんだよね。夜にそこを走るときは年末だなーという気分で通過している。
どうやら今年から正社員にもなれたので、12月にはボーナスが貰えるようである。やったぜ。でも、そこまで贅沢しようとは思わんけどな。できればMacBook Proを購入したいと思っているのだけど、これは家の掃除がきちんと終わって作業用の書斎ができたあとで適当にローンでも組んで購入しようと思う。
Macbookに関しては普通に仕事で必要だから必要経費としてさっさと購入しても良いかもしれんけどな。僕のメインの仕事ってアプリ開発者なので、家でなにかアプリを個人開発したいだとか技術の勉強をしたいのならば、Macはどうしても必要なんだよね。最近だとFlutterで色々と開発してるんだけど、iOSアプリをリリースしようと考えるのならばMacOSは必須である。個人開発したいアプリのアイディアもあるし、自前のmacbookは必要だねぇ。
ボーナスがいくらぐらいあるかでも考えてみようかな? どうせ大した額ではないと思うけど、Macbookの購入金額の半分ぐらい出せるようであれば頭金としてローンを組んでMacBookの最上位のやつでも手を出してみるかなぁ。技術の勉強は家でもやっておきたいし、早めにMacbookは購入しといた方が良いだろう。
今使ってるPCはmouseコンピュータのほどほどぐらいのスペックのやつである。別に全然今でも問題なく動きはするんだけど、window11のアップデートに対応してないらしくて、どのみちPCは買い換える必要はあるんだよね。まー、今回のボーナスは貯金に回すとしても来年の上半期ぐらいでは購入しておきたいよな。
閑話休題。ちょっと今日は仕事をサボって自分のブログを読みふけっていた。そして思ったのだが、「このオッサン全然、謙虚さのかけらもねぇな・・・」。
いや、読者諸氏の言いたいことは分かってる。「お前今更なにほざいてる!?」でしょ? できれば礼儀正しく誰に対しても丁寧なジェントルメンなゆきにーさんとか呼ばれてみたくもあるのだが、僕は書きたいことは書かないと死んでしまう奇病に罹患してるのである。感情の吐出口を塞がれてしまうと頭が爆発して死んでしまう惨劇が発生するのだ。
なーんかさ、ブログだけならよいかなー?みたいな感じで本音丸出しにしようとしてるフシもあるんだけど、別に僕はリアルの方でもデフォルトで態度でかいよな。別に誰かに態度でかいと指摘されたことはないが、間違いなく若人に対してでかい面をしている老害であるという自信はある。そんな自信はとっとと捨ててしまえと思うのだが、繊細な感受性が摩耗してしまった中年はどんどん恥知らずになるしかない運命なのです。。
いや、謙虚さがないと分かってるなら改めろよと思ったので、ちょっと参考文献を引っ張り出して考えてみる。
仏教は、実にユニークな対策を教えてくれます。それは「小さく、小さく」という心がけです。小さくとは、けっして慢をふくらませないこと。「自分が正しい」「自分がエライ」(優れている)という思いを持たないことです。
仏教では”つつしみ”と表現します。原始仏典に、こんな言葉がありますーー。
「亀が甲羅の中に手足を収めているように、心を耕す者は、身を小さく保っていなさい。身をつつしむ人は、自らを守る人である。外に漏れない(反応しない)心にこそ智慧は宿る」
(テーラガーター / サンユッタ・ニカーヤ他)つまり、”つつしみ”こそが、心の成長に大切だという考え方です。
つつしみは、一般に「謙虚」や「卑屈」に近いものと受け止められがちですが、意味はまったく違います。
「謙虚」や「卑屈」は、「自分はまだまだ」「自分のほうが下」という”判断”を含んでいます。
しかし仏教では「ただ理解する」だけです。自分をいちいち判断しません。上とも下とも判断しなくていい。自分自身にできること、今自分の心にある思いは、ちゃんと理解している。よく理解しているから、偉ぶる必要はないし、相手と張り合ったり、大きく見せようとしたり、自分の正しさ・優秀さをアピールする必要もない。そういう発想です。
自分のことをよく見つめている。理解してる。それゆえに「慢」を持たないーーそれが仏教的「つつしみ」の意味です。
草薙龍瞬著 「これも修行のうち 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活」 KADOKAWA 位置No 1280 - 1297
最近、仏教の本を読んでいると「慢」という概念が出てくるのだが、これをちゃんと理解して持たないようにすることは自分のこれからの生き方において重要だなーと深く思うのである。ほんとさ、僕はなんか中途半端に成果を出せてしまった所があるので、多少思い上がってるのではないか?とおもうフシが多々ある。きちんと足元を見つめて生活することが、これからの人生でも必要だなと思いました。「脚下照顧」ってやつですよ。ちいさなことからコツコツと。そういうマインドを忘れては駄目ですね。