
満足できる人生を生きるにはどうすればいいのか、たまに考える。
今日は睡眠時無呼吸の検査キットを病院に返しにいく必要があるので午前休み。まー、障害者雇用のメリットって、比較的他の人と比べると有給をとっても文句を言われにくいぐらいだよな。
いつまでこの会社で耐え続けるのかは、わりかし真面目に考えたりはするものの、他の可能性の見通しが立ってないので現状維持である。まぁ、行動しようと思うのなら、今までやってきたことを履歴書に棚卸しをしたりとか転職エージェントの話を聞く必要があるんだけどなーとは思う。
やるべきことが多すぎるのか、いつも気力がげんなりしており、現状維持以外できなくなってるのも問題だよなーと思う。かといって、何かしらの行動を起こすまで待っていると、あっという間に寿命が尽きて何もできなくなりそうだよなー。
こういうのはコンフォートゾーンとかそういうのの説明でされることかなと思う。現状の状況に希望が持てなくとも、変更するだけのリソースが残ってなければずっとその環境にい続けてしまう。これでそのうち抜け出すのも状況を変えるのもできずに茹でガエルである。
現状の状況に納得はしてるわけではないが、かといって自分の見える範囲の世間を見ていると、僕は障害者にしてはある程度安定した生活を送れているようなのである。ここからさらにプラスアルファを求めるというのは、ないものねだりの気もするのだが、かといって現状で満足できるもんでもないしなーというところ。
なんだろ、意思決定の問題というのは誰でも難しいもんだよなと思う。よっぽど人生を駆動させる程の大きな夢とか目標があるんであれば、すぐに仕事を辞めて飛び出して独立起業というのもできるかもしれないけど、別に僕の目標は「仕事をやりつつ創作もぼちぼちやる」ぐらいのものであり、目標的にはもうすでに現在で達成しているのである。
人間というのはどこまで行っても満足できない生き物なのだろう。だから人類は現代みたいに相対的な貧困が減ったりした世の中でも、さらに何かを資本主義で追求したりとか、常に右肩上がりの発展を求めるのだけど、それが本当に人類多数の幸福に至るかはよく分からんところであるな。
なぜか主語が人類全体にまで発展しているが、今の問題は僕自身の悩みである。僕は、思考の上ではそれなりに充実した人生を送ってるはずなのであるが、感覚的には全然満足できてない。この不満はなんなのだ? と考えたりするのだが、要するに人生のコントロール感が足りてないんだろうな。
安定はしてるけど、納得はしてないんだと思う。僕自身の人生を振り返ってみたときに、今の立場に落ち着くためにそれなりに努力もしてきたのだけど、やっぱり大きな原因としては病気をやったりとか他のライフイベントに振り回されて、望み通りの人生を送れているとは言い難い。
なんというか、ちゃんと自分の意思で自分の人生を送ってる感覚が薄いのである。自分の手で努力をして、大きな成功をした感覚がないというか、どことなく生きてる実感が薄い。
これもあくまで主観的な感覚の問題である。人間の気分というのはすぐにブーブー文句を垂れるし、しかも満たしたところで「こんなもん?」と非常に満足感が薄いもんだったりする。少なくとも、転職のような大きく人生を弄る行動に関しては、気分で判断すると大きく見誤る可能性も高い。
ま、現実的な回答としては、問題解決と対症療法を同時並行で行うというありきたりな答えになるだろう。実際的に、履歴書の棚卸しなどをしてチャンスが来た時に動けるようにはしておきつつ、今のこういうどうしようもない気分をコントロールするために休みは休んでストレス解消をしっかりとやっておくということだ。
自分の納得感まで踏み込むと、これは満たそうと思っても無限に課題が出てくる問題だ。ある程度は妥協して納得しないとならん問題ではあるが、そこんところの匙加減はよく分からん。まぁ、そういうことをちゃんと理解している人の方が稀なのかもしれないが。