
しばらくは体調回復にでも努めるとする。
今日は朝から買い物に行ってきて、それから家事諸々をやり、夕方にはサウナに行ってきて現在に至る。
気分はリラックしており順調。まー、最近、かなり張り詰めすぎだったのでしばらくはサウナ週一ぐらいのルーチンにする勢いでいい。しばらくは体調回復に努めないとどうなるかというのが分からんからな。
なんでまぁ、今日は特に書くこともそんなにない感じなのだけど、僕にとってはブログ執筆は絶対でね。何かしらフリーライティングでひとまず1500文字程度はさっさと書いてしまい、皿を洗い部屋の掃除をして、寝てしまうとする。
最近はどーなんだろ。ちょっと自分が野放図に創作に突っ走る危険性というのを本当に実感してしまい、意図的にブレーキをかけているところがある。今回は軽い接触事故だが、次に人でも轢いたらマジで人生が終わる。
なーんかね。ほんと考えてしまうのよ。自分は何かを書いたりとか作ったりとかしてないと生きてる実感が薄いのだけど、それで睡眠を削ったりしながら自分をギリギリまで追い詰めないと実感を感じられないというのが、本当に幸せな生き方なんだろうか?
変なところでストイックすぎるというか、まぁ強迫観念なんだけど、自分の限界まで自分を追い詰めないと何かをやった気にならないんだよね。何かしらの快楽を得ることにも罪悪感が強いし、苦痛を感じないと生きてる意味を感じないというのも、ちと歪みすぎだ。
これなんでだろうと原因を考えようかと思ったけど、あんまり意味がないからやめた。どうせこれでまたブログで深掘りを始めるとぐるぐる思考の開始であり、せっかくサウナでリラックスできた日曜の夜が台無しになる。
どうせ、考えたところで答えの出ない問題である。生きている意味だとか自分の存在証明のようなものは、僕は思春期の頃からずーっと考えている気がするけど、いろんな心理学やら哲学やらをそのために学んだけど、結局のところ安定した日常生活をしてたらそんなの気にならなくなるというのが結論だ。
これが、仏教のブッダのように本当に向こう側に突き抜けるレベルまで考え抜いて答えが出てしまうというのも微かに願望としてあるものの、そういうのは死ぬまでにできるかどうかも怪しいやつだ。そもそもブッダ自身の生涯を見ていても分かるけど、ぐるぐる言葉で考えたところで無駄なことで、あの人はひとまず考え抜いた後にただ瞑想したらそういうことかと抜けたのである。
ま、ブッダを引き合いに出すのも、小学生が将来の夢にノーベル賞を取るとか言ってるような話なのであり、その辺りでまた壮大なる堂々巡りの旅を始めるのである。まぁねえ、僕のブログではこういうことばっかり書いてるけど、これは言葉遊びというか机上の空論というか、実践に結びつくのは稀なことばかり書いてるのでこれも問題だよな。
このエントリーの結論としては、「サウナでせっかくリラックスできたのだから、さっさとブログエディターを閉じて、掃除して皿を洗って寝てしまえ」ということである。哲学者がなんで哲学なんてやるかというと悩みが多いからだ。それは有意意義なこともあるけども、その哲学者本人が悩んで生きる人生が幸せかどうかは保証できない。
今日はレオナルド・ダ・ビンチの有名な言葉で終える。結局、1日1日をちゃんと生きてる人が幸せだということだ。
「よく生きた一日は、幸せな眠りをもたらす。よく生きた人生は、幸せな死をもたらす。」
(As a well-spent day brings happy sleep, so a life well spent brings a happy death.)