超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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自分の生きる理由なんかを考えてしまうね。

自分の生きる理由なんかを考えてしまうね。


画像は見事なへそ天をかます大五郎さんの写真である。この子は沖縄北部の山原の山の中を彷徨ってるところを捕獲された保護猫であるが、今ではまったく警戒心が薄れてしまい、ときおりこのようなたるみ切った寝相を晒してしまうのである。


さて、今日は日曜日であるな。今日はうちの母親がオバァと食事会をしたいということなので、一家総出で大戸屋に出かけて昼食会をしてきた。


うちのオバァはそろそろ90歳であるが、まだまだ認知も入ってないし元気におしゃべりできる。ただまぁ、最近足腰が弱ってきたかなぁという感じであるが、外出などが好きでたまに食事に連れて行ったりする。今回も大戸屋でメニューはトンカツを頼んでもりもりと食べていた。沖縄のオバァはものすごく元気で、いろんなおせっかいが大好きな人が多い印象である。


今はオバァはまだ話せるであるけど、親とか祖父母の世代というのはいつまで一緒に過ごすことができるのか分からないからね。僕の母親も半身麻痺で介護が必要であるし、いつ状態が急変するかというのは分からないである。「いつまでもあると思うな親と金」みたいな言葉もあることであるし、せいぜい親孝行できるうちにやれることはやっとこう。


僕自身もそうであるけどね。一般的に統合失調症を患ってる当事者は平均寿命が短いらしい。これは高い自殺率のせいなのか、それとも向精神薬の副作用が蓄積して内臓に負担を掛けているのかみたいな理由は分からんけど、とにかく僕自身もそんなに長生きできる訳でもないらしい。


人生において何かを成し遂げたい、みたいな大層なことは考えなくなったな。どうも、僕の感覚的には僕の人生ってすでに余生に入っちゃってる感覚である。1回、マジで死にかけたこととかあったりしたのでその後の人生というのはラッキーで手に入れたものって感じ。


僕は40歳であるけど、今ぐらいの年齢まで生きていると祖父母の代ぐらいまでは亡くなっていく時期である。僕の場合は母親も脳出血で早くから介護をしなければならなくなってるし、どうにも身の回りで病とか死に接する率は普通の人よりも多いと思う。


5月24日に世界統合失調症デーというイベントがあったらしいが、こういうイベントを通じても自分自身のアイデンティティのあり方であるとか、人生の意味合いみたいなことをしっかりと考えておいた方が良いだろうなーとは思う。


前述したことであるけど、僕の人生というのは一度終わったものであると考えている。完璧に社会をドロップアウトして、福祉や医療の力で一生を過ごすのかと思ってしまうような時期もあったけど、なんとか周りの家族とか助けてくれる人の手助けもあって社会復帰をすることができた。


どうせ失ったはずの命である。残された時間というのは自分の能力を使ってできるだけ社会貢献してみようかという考えもある。僕は内向的で、あんまり人前に立つような大きな仕事はやりたいとは思わないのだけど、コツコツと小さなことを積み上げるような活動というのは得意技である。さしてすごい才能みたいなものはないと思うけど、あまり人の目立たないところで陰徳を積むような感じで助けられる人を助けていきたいと考えた。


実際に何か統合失調症の当事者に対してどんな貢献ができるのかと考えたときに、僕がやれることといえばネット上のいろんな情報を整理してブログで書いてみたりとか、何か統合失調症の経験を活かした小説を書いてみるとか、システム開発の能力を活かして当事者の役に立つようなWebシステムやアプリを開発してみるとかそんなのが考えられるかな。


実際に体を動かして、ちょっと福祉施設のボランティアができる場所であるとか当事者の役に立つ組織に寄付を行ったりとかそういうのも考えるのも良いだろうなーと思う。僕も統合失調症関係で医療研究を行ってたりとか当事者家族会を開催してる組織とかは調べていて、そういう組織にちょっとずつでも寄付金を送るのも自分にできる貢献活動であろう。


scrapbox.io


20代ぐらいの時は、自分は何か大きくてすごいことができるんじゃないかととくに理由もなく信じ込んでたんだけど、人生で派手にずっこけて大失敗をしてしまった後だと、人間ってのは自分の力だけで生かされてる訳ではないんだなと気が付かされるよね。


僕が何気なく生活をしていたりとか、仕事をしているという結果の裏にも、いろんな人の営みから導き出された原因みたいなものがあり、自分の存在というのはいろんな人に支えられてるのだなと実感することがある。与えられることだけではなく、僕自身も誰か困っている人がいるのなら働きかけて、ちょっとでも気分を楽にしてやれるように行動することは必要かなと思う。自分が生きてる理由というのはそういうところからも見つかるかもしれない。

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