
生きることは学ぶことだと思うね。
金曜日の朝。週末だというのに、あまり晴れやかな気分ではない。来週月曜が今抱えているプロジェクトの納期で、オフィスの空気は相当ピリついている。張り詰めた空気というやつで、誰かが悪目立ちしそうなことをするだけで殺気立つという状況。
僕自身は、今週末は休むつもりでいる。でも、今日の進捗次第では「明日も来て」と言われる可能性は普通にある。別に来いと言われれば来るし、特別な予定があるわけでもない。ただ、「まあいいけどさ……」という、言葉にしにくい引っかかりだけが残る。どうせ時間が空くなら、サウナにでも行って、頭を空っぽにしたいな、くらいの気持ちはある。
一方で、昨日ひとつ区切りがついた。書きかけだった小説『神とストゼロと女騎士』の第一稿を書き終えた。とりあえず最後まで書いた、という段階だ。ここからは読み返して、構成を整理して、削れるところは削っていく作業になる。
自分の文章を読み返したり、AIに読ませて感想を聞いたりして気づいたのは、表現の繰り返しが思った以上に多いということだ。心境が大きく変わっていないのに、似たような言い回しを何度も使ってしまっているらしい。指摘されると確かにそうで、削るべきだとも頭では分かる。ただ、長く付き合った原稿は目が慣れてしまっていて、自分ではなかなか気づけない。だからこそ、他人やAIの視点を借りながら手直ししていくしかないな、と思っている。
今は正直、プロジェクト末期の忙しさで、頭の中はそれ一色だ。これが終われば少しは余裕が出るのかもしれないけど、結局また何かしらに追われて走り回っている気もする。その繰り返しが人生なのかもしれない。
だからなのか、久しぶりに図書館に行きたい気持ちが強くなっている。禅や仏教、哲学あたりの本を、目的もなく手に取って読みたい。最近そういう時間をだいぶ疎かにしていた。
昨日ふと、自分の人生を少し客観的に振り返ってみた。冷静に見てみると、「よくここまで色々あったな」と思う。正直、普通の人だったら途中で折れていてもおかしくないような出来事が、いくつも積み重なっている。自分で言うのもなんだけど、なかなかハードモードだ。
それを一度まとめてみるのも、案外面白いのかもしれない。人生の回顧録をKindle本にする、なんてことも頭をよぎる。ただ、それを誰が読むのか、という現実的な疑問もすぐに浮かぶ。小説も、書いて満足して終わり、ほとんど読まれない、というのがこれまでのパターンだ。
だからこそ、本を読まれるようにする工夫や、出版や宣伝のやり方についても、もう一度ちゃんと勉強したいと思っている。以前、マーケティングの本を借りて読んだこともあるけど、腰を据えて学び直したい。
能力を今さら伸ばして何かを期待しているのか、と言われると、そこは正直よく分からない。ただ、学ぶこと自体は、人生の中でずっと続いていくものだと思っている。新しい視点に気づき、考え方を切り替えられるようになること。それ自体が、自分にとっての武器だ。
僕が持っている一番の強みは何かと考えると、やっぱり「視点の切り替え方」だと思う。いろんな考え方を知っていて、状況に応じて物の見方を変えられること。精神的にどれだけ参っても、視野を広げて考え直す方法を知っているだけで、踏みとどまれることがある。
仏教的な視点や瞑想、哲学的な思考も、全部そこにつながっている。人生でどんなに苦しいことがあっても、考え方を切り替える技術を知っていれば、生きるのに使える。僕の好みで言えば、ストア哲学や実存哲学のような、「苦しくても、それでもどう生きるか」を扱う思想が一番しっくりくる。
生きることと学ぶことは、たぶん並列だ。少なくとも僕にとっては、生きることは学ぶこととほぼ同義だと思っている。どんなに辛くても、「自分だけじゃない」と思えるだけで、人は案外やり過ごせる。
自分が生きるより前の時代にも、同じような苦しみを味わい、それを自分の頭で考え、言葉にしてきた人たちがいる。その存在を知るだけで、気持ちが少し軽くなる。読書には、そういう力がある。
だからまた、図書館に行く。静かな場所で、本の背表紙を眺めながら、次に何を考えるかを探しに行く。それが今の僕にとって、一番自然な週末の過ごし方なのかもしれない。