超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕は自分のために思想を使う方法はこう考えている。

僕は自分のために思想を使う方法はこう考えている。


今日は母親を病院に連れて行かないといけないので、午後から半休をとって休み。病院が終わったら適当にスタバなりで、ドーナツとコーヒーでも買って気晴らしをしておこう。


週末に入り、体の方がそれなりに疲れている。朝は無糖のレッドブルをコンビニで買って飲んだが、エナジードリンクで疲れを誤魔化しても後で蓄積した分のダメージが追加でくるような感じなのであまりオススメできるやり方でもないんだよね。


今日は特に書くこともない感じであるな。最近はことさら生きがいであるとか、「何のために生きるのか?」的なことを断続的に考えるようになってるが、そういうことについては考えれば考えるほどドツボである。


人間が人生のそういう生きがいだとか生存理由について悩み始めるのは、直近の身の回りの生活がうまく行ってないからである。人は好調な時にはその理由について考えないけども、状況が不味くなり始めるとようやくその原因について考え始める。


人が不幸だとか人生の意味について考えるのは暇人だからである。生きることに精一杯で、目の前に常にタスクが積まれてるような人はその意味は考えない。悩むことについてもある程度、心理的・時間的な余裕がある人でなければ、その意味にすら気がつかないのである。


しかしまぁ、僕はこういうことについては生きる意味について考えてない人よりは、考えている人の方が好みだ。それなりに生き方に対してスジを通してる人というのは、自分の美的センスで見栄えが美しいと思うだけの完全な個人的な理由である。自分自身が悩みやすい性格ゆえに、ある程度物事に対してこだわりを持ってるタイプの方が親近感を持てる。


めったやたらに必要ないことまで悩みまくるタイプというのは、それ自体が悩みの種なのだが、そういうメタな視点というのも経験してない人に伝えるのは難しいことであろう。どうも以前、前野隆司先生の「幸せのメカニズム」という本で読んだのであるが、幸せになるためには様々な因子があるが、楽観主義というのはそれだけでワイルドカードのようなものだという。


何か不幸なことが発生した時に、それに対して意味付けをするのは人間の認知である。目の前に半分の水が入ったコップがある時に、「半分しか水が入ってない」と考えるのか「まだ半分も水が入っている」と捉えるのかで、その後の思考のプロセスに大きな差ができる。


こういう心理の「根底反応」については心理学やら仏教やらでいろんなことが言われている。心理学ではこういうのは「スキーマー」だとか言われたりする。


スキーマー」というのは、人間が目の前で発生するいろんな出来事に対して、どのように考えるのか生まれついてから身についてきた癖のことだ。対人関係においても、ちょっとすれ違いがあった時に、それに対してたまたまと捉えるのか? それとも初手から自分が嫌われていると思い込むのかの違いになる。こういう認知の癖については「自動思考」であるとか「スキーマー」と呼ばれたりするので、興味がある人は「スキーマー療法」「認知行動療法」などで調べてもらえるといい。


じゃあ、自分みたいにネガティブ思考の生きづらいスキーマーを持ってる人は幸せは諦めるしかないのかー? と問われた時に、そっちの方の心理の根底反応にアプローチする方法というのは色々と研究されている。スキーマー療法なんかはまさしくそうだけど、僕が役に立つなーと思ったのは仏教的なアプローチ方法だ。


仏教の考え方では「四諦八正道」というふうな教えがあったりするのだけど、これはまさしく自分のようないろんなものに懐疑的で悩みすぎる性質を持ってる人が生きやすくなるための考え方ではないかと思うのである。すごいざっくりと説明すると、人生というのは悩んで生きにくいのがデフォなので、正しい考え方や行動をするように修行しようみたいな言葉である。


「人間は自由の刑に処せられている」と言ったのはサルトルだが、これはある種の真理だ。現代社会においては何をやってもいい、何を考えてもいいと個人の裁量で何もかもを自己決定しないとならないことが苦しみを生むのだ。


なので、仏教の「四諦八正道」のような考え方が役に立つ。僕も宗教としての仏教の信仰だとかそういうのはどうでもいいのだが、人として正しい生き方をちゃんとやることで、人生が生きやすくなるというスキームが便利だから使ってる。正しいことを信じて、正しい判断をして、人として正しく生きるということを専念するということは、誰にも迷惑を掛けないし自分も楽に生きることができるから人生の考え方として効率が良いのである。


自分が信じてもいいなという「綺麗事」を自分の意思により決定しておき、そちらの自己規範に従って物事を捌いていくというのは、やってみるとすごく捗る。周りや世の中に対してやたら疑い深いというのは、騙されなくはなるかもしれないけど、日常生活が生きづらい。なので、自分自身で色々と調査や検討を行って、「このスキームをインストールすると生きやすくなるな」という概念を選び、それを日常的なシーンで使ってみたりとか、判断が必要なときにその概念で決めたりするのである。


難しいことを言ってるように思われるかもしれないが、要するに、「自分の生活の中で判断が必要になる時の行動指針を前もって決めておくと楽」ということを言ってるのだ。これはネットや書籍で拾った言葉でもいいし、「四諦八正道」のように最初からパッケージされてる場合もある。それらの中から総合的に判断して、自分はこの考え方が間違ってないという言葉を取り入れるといいのである。僕が知識を使うことを考える場合、このような感じで使うのがいいと思う。

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