
自分を楽にする実践の仏教はいい感じだなーと思う。
今日は午前中は母親の見舞いに行ってきて、午後からは図書館で色々と本を借りてきた。読書をして過ごしたいところであるが、夜からは親戚との飲み会である。
昨日は仏教関係のヴェビナーに参加してたのだけど、割と良かった。やっぱり、僕の性格的に仏教との相性が良いらしく、自然な感じで苦しみを減らすにはどうしたらいいのか? とかその辺りの技術として色々と使えそうな気がした。
今回は四聖諦と八聖道を習ってきたのだけど、八聖道はまぁ生き方として普通に有効な考え方だよなーと思う。今回も図書館に行ったときに仏教関係の本を借りてきたのだけど、どうも普通にスピリチュアルっぽい本も混じり込んでるのが厄介だなと思う。
仏教がいいなーと思うのは、あくまでも信仰やら何やら向こうから布教してこない感じで、瞑想とか八聖道とか楽になる考え方があるから、あとは自分で修行の実践をして楽になれというような、考えを強制してこない感じがいいのである。今回参加した仏教関係のヴェビナーもテーラワーダ仏教とかの上座部仏教系の僧侶の話を聞いた感じだけど、普通にああいう考え方はありだなと思った。
スピリチュアルってどうにも苦手なのである。元々、ブッダ自体も神様だとか宗教関係に頼らず、ただ人生を楽にするための方法として考え方とか瞑想のやり方とか色々あるよーという感じで人に教えたりしてたので、どうも自分の好みもそっち方面の無宗教寄りの仏教である。
八聖道とか、簡単に意訳をすれば「正しく生活を送ればあんまり悩まずに正しく生きることができる」と極めて当たり前のことを言ってる。これは心理学でもスキーマ療法とかその辺りの歪んだ信念を矯正してやることで生きやすくなるとか、その辺りの共通点が見つかる。
僕は元々の大学の専攻が心理学であり、高校生ぐらいの時からあまりにも人生がクソすぎると常々思っていたので、図書館に篭って哲学書だとかその辺りを読んでるうちに心理学に興味が湧いた。自分自身の内面世界などに興味津々であり、瞑想とか考え方を正すことで楽になろうという仏教とは相性が良さそうだ。
まぁ、僕は元々の考え方が極めて無宗教寄りであり、入る墓とか一家の信仰というのは沖縄の先祖崇拝だけど、神様関係というのは病気の妄想で色々と振り回されて痛い目を見た。人は弱った時にはやっぱ大袈裟な話に引き寄せられて詐欺に遭ったりするので、その辺りの警戒心はものすごく強い。
ま、いいのである。僕自身の仏教関係への興味に関しても、今はこうして書いてるけど、これを人に見せてなんやかんやというよりは、自分自身の考えを調整して楽にするために色々とやってるというだけだ。今回の坊さんも慈悲喜捨とかの考え方で話してたけど、自分自身が悟りに近づいて明晰に物を見れるようになって、それで気づいた自分が周りの人を助けたりすることが修行らしいのである。
人に認められるために大袈裟に大上段で神様とか修行とかを振り回すのは性に合わん。淡々と毎日コツコツと瞑想を習慣化してやったりとかして、それでメタ認知で自分の苦しみを観察して「こんなもんかー」とか納得するというラインが気に入っている。自分自身の内面の納得を重視して、他人がどうあれ自分自身の考え方で振り回されないようにする感じである。
40にもなるとさ、どうしても人生を生きてると「クソゲー」という発想しか浮かばんのよ。成功しようがしまいが人生というのは苦しいのがデフォである。そんな中で、自分の内面の苦しみだとか考えとかを丁寧に観察をして、そして「方法はある」と冷静に考えて実践をするのが四聖諦だと僕は理解した。どうにもね、生きてりゃ苦しいことばっかりであるし、そこんところでその概念は納得するところが多い。