超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

無意識に潜ってみて出てくるイメージを作品にしてみたい。

無意識に潜ってみて出てくるイメージを作品にしてみたい。


はい、おはようございます。週末であるね。もう昨日から疲労困憊だ。なんなんだろうな、週末に差し掛かると体が「もう無理」って言ってくる感じがあって、年のせいなのか、それとも社会生活に対する単純な摩耗なのか、自分でも判断がつかん。まあ、「43ぐらいで歳と言うなよ」みたいなツッコミはわかるけど、実際に疲れてる以上、否定して粘る意味もない。現状を認めて、昨日は22時に寝て、7〜8時間は睡眠を確保した。で、今日もとりあえず仕事に行って、明日のための準備をしているという流れ。


明日は母親が一時帰宅してくる。そこから介護の生活が本格的に始まるかもしれない。40代でこういう状況って、早い気もするし、現代では別に珍しくもないのかもしれないと思ったりもする。「理不尽だな」と思う瞬間はある。でも、理不尽かどうかを判断しても、状況が変わらないならあまり意味がない。やれる範囲でやる、という行動に落とし込むしかない。正直、「人生クソゲー」というキーワードしか浮かばんが、感情が先に崩れると、一気に持っていかれそうな気配があるから、考えすぎる前に動くくらいでちょうどいいのかもしれない。


ただまあ、人生って骨が折れるよな、と何度も思う。障害物多いなとか、波が多いなとか、そういう雑感は湧く。でもそこに留まると暗くなるのでさっさと切り替える。


小説の話に移る。最近は少しずつ書いていて、ようやく作品が一つ完成するかなという感じ。といっても2〜3万字程度。短編〜中編ぐらいの規模だ。自分はどうしても長編が書けない。これは構造的な癖の問題かもしれない。プロットを頭から尻尾まで綺麗に並べて、それに肉を付けていくタイプの書き方に慣れすぎている。筋道を立てて理解しないと前に進まないというか、秩序がないと落ち着かないんだな。


以前からずっと思っていたけど、村上春樹の長編みたいに、思いつきとか、内側の意識の流れとか、そこに漂う象徴や断片を、そのまま物語にしていくやり方。あれやりたいよなーと思う。自分の内部の夢、影、幻覚の領域に潜る。自分の中の薄暗くて何かが沈んでる場所。そこに捕まえていない言葉や形を見つけに行く。そういう創作は興味深い。


ただ、それは怖い部分もある。自分の無意識を現実に引き上げた時、それがどう見えるか、どう評価するか、あるいは自分自身がそれを読んでどう感じるのか。外に出した瞬間に「見たくなかったもの」を見る可能性もある。でも、それも含めて一度はやる価値があると思っている。自分の内部の輪郭を、アウトプットを通して初めて知るというのは、創作において避けて通れない課題だと思う。


プロット構築型で安定を求めるか、混沌に足を踏み入れて物語を掘り起こすか。どちらも正しい。ただ、今は後者の挑戦が必要な時期かもしれない。怖さと好奇心が同時にあるなら、やるべきタイミングだろう。というわけで、次は流れに任せた長編を一本やってみるかと考えている。

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