超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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楽しく意味のある創作をやりたいものだ。

楽しく意味のある創作をやりたいものだ。


しばらくはブログも省エネモードで書かせてもらう。明らかに最近は調子が悪くて、睡眠にまで影響が出てる。


大体まぁ、気分的には落ち着いてきた感じなんだけどね。気分は落ち着いてるのだけど、体のほうがいうことをきかない感じ。自律神経でも緊張してるのかなーという感じ。ちょっと、今週末は特に予定もないもんだし、どこかサウナの方にでも行ってこようかなと思う。


やるべきこと自体は無数にあるんだけどね。小説執筆の方も、詳細プロットの中途半端なところで止まってるので、また再度読み直して追記をどんどん増やしていこうと思う。そろそろイラストの方も描きたくなってきたなーという気分であるが、これは小説執筆が終わるまでは止めておくか。


僕の小説執筆はものすごく時間が掛かるので、完成までに年単位というのはそれほど珍しくないんだ。遅筆にも程があるのだが、一日数行しか進まないパターンもよくあり、隔日でちょっとずつ書きながら完成を目指すということもよくある。


小説を完成させたとしても、pixivで公開してもそれほど読まれない感じであり、そういう見返りが少ない活動にリソースを費やすのもどんなもんだろ? と考えなくもない。せめて書いた小説を公募の新人賞に送ったりするようなことであっても、何かしらのプロからの感想とかのレスポンスは返ってくるだろうし、そういう活動も必要だよなーと思う。


どうも、僕は「見返りを求めない創作活動」というのにやたらプライドを持ってたりもするけど、それもどうだろうと疑問を持ったりする。たいして評価をもらえない作品を書きまくることばかり頑張っているけど、最近読んだリリー・フランキーみうらじゅんの対話本の「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」の方で、評価にならないアマチュア思想に対して批判的なことも書かれていたのである。


これは創作に限らず、ブログのマネタイズなどでもよくある悩みなのであるが、頑張って創作活動をしたとしても見返りが全く受けられないことについてどう考えるかは悩みである。「創作それ自体が楽しいからやる」とかその活動自体に楽しみを見出すのも重要ではあるのだが、その活動が世間一般から見てどのような価値を持ってるのかという意識も必要だよなと思うんである。


例えば、ブログに関して言えば、「有名人でもないただの素人が日記を書いたとしても価値がない」という言説がある。僕はこう言ってる奴は嫌いではあるが、まぁ一理あるなという感じである。


書いてる内容で読者を楽しませる工夫もなしに、本当にその日の出来事だけをダラダラと書き綴ってるブログというのは、その人のとっては意味があるかもしれないけど、公益性のようなものは限定的だ。平安時代の頃の日記のように、このテキストが数世紀以上も経って発見されたとかなら歴史的価値を持つかもしれないけど、現代の情報社会においてネットでブログで日記を書いてる人などというのは無数におり、大した芸も使わずに日々のことを書いたとしてもあまり価値がない。


ここんところ、僕は以前からずっと悩んでるので、ある程度答えというのは出ている。「自分が楽しいから書くというエゴ」と「世間一般に受け入れるために公益性を出す」というのについては、7:3ぐらいで考えている。これが僕にとっての黄金比率であり、ブログを毎日更新で書きつつ、ある程度読まれるための工夫をするための心構えである。


僕がブログの毎日更新が続いてるのは、単純に文章を書くことが楽しいからである。こうやって毎日文章を書きながら頭の中のことを出力していくことは、僕にとっては娯楽であり、ストレス解消のためにブログを書いている。


しかし、自分が書いていて楽しい文章というのが人が読んでも楽しい文章であるとは限らない。人が他人の文章を読むときには、そこに自分の知らないことが書かれているという価値がなければ、冒頭だけ読んですぐに放り出す。現代人は価値のない文章を読むような趣味を持ってる人というのは限られている。


なので、僕が書いてる文章というのは自分の楽しみのために書いているのだが、そこに多少は他人の視線を意識して数割ぐらいは、役に立つかもしれない知識とか知見などを含めるように気をつけているのである。本やネットを読んでいて見つけた心理学や哲学の知識など、そういう他の人でも自分と同じ立場になったときに使える視点について知ることができるように書いている。


「ブログを読まれるためには役に立つことを書け」というのはよく言われている言説であるが、毎日更新で毎回100%役立つことばかりを書こうとすると、すぐにつまらなくなってみんな放り出すはずである。SEOの狙い書きなども同様なのであるが、文章を書くということは他人のために書くとつまらない。


自分が書きたいから書く文章や小説というのは、単純に娯楽になるのである。マジで自分は、こうやって毎日更新を3000日近くも続けているのは、記事を書くのが楽しいから続いているのである。読者の中に書くことに悩んでいる人がいるのなら、エゴと公益性は7:3ということは意識してほしい。

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