超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

頭が固くならないようにSNSやYoutubeと付き合う方法も考えたいものだ。

頭が固くならないようにSNSYoutubeと付き合う方法も考えたいものだ。


はい、おはようございます。沖縄は雨。そろそろ冬の空気で、冷たい雨がだらだら続く季節感だね。暖房つけるほどじゃないけど、クーラーは止めて常温で送風にしてると車のガラスが曇ってくる。朝に雨が降ると通勤の道路も混んでくるし、大層迷惑なことであるな。


さて、今日は情報との付き合い方の話を考えてみるかな。僕はルーチン化の鬼であるけど、いったん始めた習慣やスタイルを延々続ける癖がある。ブログもそうで、毎日書くけど内容が似通ってきてマンネリを感じる瞬間がある。自分の中に「7割は安定、3割は変化」という感覚があって、そこを意識し続けないと完全な惰性で回り出す。更新の意欲や好奇心まで鈍ると、単なる反復になってしまう。


書くことについても、同じことをマンネリで繰り返す良さと言うのもあったりするけど、完全にマンネリすると読者諸氏にも飽きられてしまう。たまにはガッツリと時事問題に取り組んだりとかして、別の書き方にぶらしてみるのも必要かなと思うところだ。


最近は晩飯を食う時は、今期のアニメに疲れて、水曜どうでしょうを見返している。あれは内輪ネタの塊みたいなコンテンツで、文脈を知らない人には刺さらない。でも、一旦どうでしょうのノリを把握してしまうと、あれほど面白いコンテンツもなかなかない。


僕はSNSYouTubeを避けてるから、そういう身内的な世界に逃げ込んでるとも言えるかもしれない。しかしまー、最近のネットのメディアを見ていると、広告、怒り、嫉妬、脊髄反射アルゴリズム。ああいう「人間の悪い反応パターンを奪いに来る仕組み」がもう嫌なんだよね。アテンション・エコノミーというが、あれは人の注意力を金に変える仕組みである。


とはいえ、YouTubeSNSには時代の最前線が集まっているのも事実。新しい流れや技術、表現はあそこで生まれている。最近のエンジニアやアーティストはそこで文化を作ってるので、それを完全に拒否するのは、単に「ノイズを避けたい」じゃなく「変化に追いつけない言い訳」になる可能性もある。だから悩む。


効率よくフィルタしたいよね。今の時代、情報をかき集めてきたところでノイズまみれなので、その中から有益な情報を抽出するスキルの方が有用である。信頼できるキュレーターを経由するのは一つの手だ。RSSやブログ、ポッドキャスト経由で必要十分に情報を拾うほうが、精神的にも身体的にも安定する自覚がある。


問題は「最新」を追う意欲が自分にあるかどうかだ。正直、普遍性のあるものの方が重要に思える。僕はクラシック音楽や古典文学のほうが、好きだ。消費型のコンテンツには時間を使う価値を感じない。人生は有限だし、注意力は資源。面白くないものに時間を溶かす合理性はない。YouTubeはハマるように設計されているが、依存性のあるプラットフォームに自分を投げ込みたいかというと、答えはノーだ。必要ならテキストや音声で要点を拾えばいい。元情報の一次データに飛び込む動機が弱い。


現代社会は情報社会であるけど、その中から自分にとって有益な情報を集めてくるのはスキルだ。その精度が高ければ高いほど、社会の中で優位に立ち回る可能性が高くなる。僕はそれを7:3だと言っているけど、この辺りは各人それぞれ比率は違うだろう。これも資産運用でどれぐらいのリスク資産を混ぜるかの比率と近いよな。リスクを取りすぎると情報はノイズまみれになる。そこんところを理論立てて説明できればかっこいいのかもしれないけど、僕はこういうのも経験で体得するものだと思ってる。

プライバシーポリシー免責事項