超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

瞑想は割とガチってる感じであるけど、もうちょっと練度を上げたい。

瞑想は割とガチってる感じであるけど、もうちょっと練度を上げたい。


今日も音声入力でブログ書いとこうかなと思う。連日小説の話ばかりというのもアレなので、今日は別の話を書きたいな。


なんか今日は雨降ってるねぇ。朝からずっと、しとしとと。最近の沖縄は、ちょっと寒くなってきてるし、雨が続いてる感じ。僕は気象病もちなので、雨の日はメンタルも調子が悪くなって大変。三寒四温みたいに、暑くなったり寒くなったりの繰り返しで、気候が安定しない。加えて、このまま梅雨に突入する可能性もあるから、なかなか気が休まらんねぇ。


そんな中でも、最近は体調が安定していて、わりと気分もいい。小説を書いたり、日々の生活を淡々とこなしたり。なんでこんなに安定してるんだろうと考えてみたら、筋トレとか睡眠の質を上げる工夫とか、色々あるんだけど、一番効いてるのって瞑想じゃないかな、って思うんです。


自分は、毎日20分の瞑想を欠かさず続けていて、たぶんもう4年くらいになる。もちろん途中でダレたり、飽きたりもしたけど、それでも「これはやるべきことだ」と感じて、今も続けている。で、ここ最近、「もうちょっと瞑想の技術を洗練できるんじゃないか」と思っていて、今日はちょっとその話でもしようかなと思う。


まず、瞑想と一口に言っても色々あるんだけど、自分がやっているのはマインドフルネス瞑想。いわゆるスピリチュアルな文脈や宗教的な思想とは全然違う、あくまで「健康と心の安定のための技術の瞑想」としてやってる感じ。


具体的には、呼吸に意識を向ける「サマタ瞑想」が中心。これは、精神を集中させるための瞑想で、自分の内側にある感情や思考に気づくきっかけになる。一方で「ウィパッサナー瞑想」っていう、日常生活の中で気づきを養うタイプの瞑想もあって、こちらはまだまだ自分はうまくできていない。


たとえば、歩いているときに「足が地面につく感覚」に意識を向けたり、ごはんを食べるときに「噛む感覚」や「味覚」に集中したりする。いわば、「生活そのものを瞑想に変えていく」やり方である。


これって、仏教でいうところの「サティー(気づき)」にも通じていて、生活の中でいかに「今ここ」に気づくかがポイントになる。サマタ瞑想だけだと、座っている間しか気づけない。でも、ウィパッサナーのように動きながら気づけるようになると、感情に振り回されにくくなるんだよね。


たとえば、シャワーを浴びながら、「今、ぬるま湯が背中を流れていく感覚」を感じることで、ちょっとしたイライラが流れていくような気がする。外に出たときの寒暖差に気づけば、「あ、今日は身体がこんなふうに反応してるな」と、自分の状態を受け入れやすくなる。


でも、正直なところ、こういう日常での気づきって、なかなか習慣化できてない。瞑想は習慣にできたけど、それを日常にどう活かすかってところが、今後の課題。


今後の自分の瞑想の練習としては、もっと自然な感じでマインドフルネスの感覚を日常生活に広げていく事であるけど、そこんところも理論と実践が重要。ウィパッサナー瞑想を訓練するための方法としては、「歩行瞑想」であるとか、レーズンを食べる感覚に意識を向ける「食べる瞑想」とかあったりする。


要するに、日常生活の中でやっている様々な感覚へ、丁寧に気付きの感覚を向けていくというやり方なのよね。これは仏教的な用語では「四念処」とも言ったりするけど、日常生活全般で気づきの感覚を強化するのが重要なのよね。


マインドフルネス瞑想の創設者のジョン・カバットジン博士の『マインドフルネスストレス低減法』にも、そのあたりの実践法が載っていたはずだから、また読み返してみようかなと思ってる。そこんところは僕もScrapboxにメモをとっているので、これを実践するのが重要なんだと思う。



scrapbox.io


結局のところ、技術って、ただ練習するだけじゃなくて、それを日常に活かしてこそ意味がある。瞑想も同じ。日々の中で「気づき」を持ち込めたら、もっと生き方そのものが変わるんじゃないかなと。多分、今回引っ張り出してきたキーワードを色々と検索するだけでも、さまざまなもっと修行法とかコツが見つかるんじゃないかなと思う。

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