超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

もっと満足できるように文章を書きたいよな。

もっと満足できるように文章を書きたいよな。


月曜日の仕事はなんでここまでだるいのだろうか? 「I Don't Like Mondays.」というバンドがあるけど、共感の気持ちが止まらない。


「I Don't Like Mondays.」は割と楽曲自体がオシャレで、ネタ抜きでこの人たちの音楽は好きである。都会を感じるような爽やかな感じであり、夏風を感じながら海辺をドライブするときにアルバムを流してると、いい気分になれるようなミュージシャンたちだ。


youtu.be


さて、何を書こう。前置きをダラダラと書いてるとエントリーのテーマ自体がブレてしまい、着地点を見失うことがたまにある。1〜2段落ぐらいで前置きが終わったのならば問題ないのだが、場合によっては記事の半分以上関係ない身辺の無駄な話をしており、そういう時の文章というのは後から自分が読み返した時に「こりゃー、ひどいなー」と自己嫌悪する元になりがちだ。


僕はある時からブログの文章を書くときに気をつけていることがあり、「なるべく1エントリー1テーマにする」というのは気をつけるようにしている。これは絶対しなければいけないという目標ではないが、なるべく努力義務としてブレた文章を書かないように気をつけることをやっている。


僕は肩書きで「雑文書き」と名乗ってるように、ブログで書いてる文章はクオリティ無視の「雑文」であるけど、それでもそれなりブログを長く続けてきて固定読者もいるような書き手なのだから、人を感心させるような文章を書いてみたいと思うのだ。


どうも、たまに僕は自分の文章を読んでる時にひどい自己嫌悪に襲われることがある。「この人はなんでここまでダラダラと内容も整理もせずに思いつきで冗長な文章を書いてるのだ!」と自己批判の感情が生まれるのである。


一応、僕がこんな感じで思いついた内容を整理もせずに書いているのは意図的な部分もあり、やろうと思えばちゃんと文章構成を整理した小論文のような文章も書けなくはない。仕事で書くドキュメントやちゃんとしたメールの文章については、まずはエディターに箇条書きで書くべき内容を並べて、それを並べ替えたりしつつ構成を考えることを最初にやる。


しかし、ブログで書いている文章については、日記とエッセイのあいのこぐらいの存在だと思っており、あえてあまり内容を整理してないワイルドで雑味がある文章を書いている。日々のブログ執筆に関しては、ジャズのセッションのようなものだと思っており、その時のテンションやノリで生み出される文章を、自分でも面白がりながら執筆しているのだ。


当然ではあるが、そのような書き方をすると出来上がる成果物にはムラがあり、時々自分でも読んでも「こりゃひどい」というような残念の仕上がりができることがある。特に、何か日々の生活の中でアクシデントがあって、感情的に自己憐憫や不安に襲われてる時の文章というのは、あまりにも内側に籠りすぎていて公開できそうにない文章になってるケースも多々存在する。


こんな感じで、いちいち毎日手書きでブログを書き綴るということは楽しいことばかりではなく、場合によっては自分で書いた文章のせいで自分が傷つくこともよくある。ブログを書き始めて出力される文章というのは、自分でも何ができるのか予想不能であり、ネガティブな文章や内容的にひどい文章を書いてしまった場合には、書いた自分が自己嫌悪でモヤモヤしてしまう。


なんでこんな楽しいことばかりではないブログ運営というのを、わざわざ時間や労力を使いながらやってるのだろう? と自分の思惑というのを自分でも計りかねる時もある。律儀にこんな風に毎日毎日時間を使いながらキーボードやフリック入力でブログを書いてるのだけど、これは趣味でやるにしては結構負担が大きくて、それでいて具体的に大きな見返りがある趣味ではない。


僕はなんで10年近くもブログの毎日更新なんてやってるんだろう? と問うた時に、「サンクコスト」とか「コンコルド効果」という言葉も浮かぶのだが、それだけではないだろう。実際、こうやってブログを長年続けてきたおかげでできた人間関係とか気づきもあり、デメリットよりはメリットが大きいと思うからこそ僕はブログを続けてるのである。


日々、決まった時間に決まった分量の文章を書く習慣を身につけていると、客観的に「自分はこんなことを考えている」という気づきが生じるのである。ネガティブで自己憐憫をしてる文章を書いたとしても気づきがあり、書き終わった後にカタルシスを感じることもある。そういうメンタルヘルスの気づき以外にも、日々の勉強の記録であるとか生活改善のきっかけになることがよくある。


現代はChatGPTに代表される生成AIが発達してきて、ブログの世界でもAIで書いた文章を投稿するような人もいる。でも、AIでブログを書かせたとしても、僕がブログを書いて経験してるようなベネフィットというのは絶対に得られないだろう。AIがどれだけ進歩しようとも、自分の頭で考えて自分の手で何か作り出したい人は存在するだろうし、人間が言葉で思考をする生き物である限り、自分の言葉で文章を書く理由というのは無くならない。

プライバシーポリシー免責事項